三月(秋丸の誕生日話というか、シニア話というか)


綿のコートを通り抜ける風が冷たかった。
三月に入ってゆるんでいた寒さが再び舞い戻ってきたらしく、風の中には雪の薄片すらまじっている。
こういうのをなごり雪と呼ぶんだろうか。それなら今日という日にはふさわしいかもしれない。
今日は大河たち三年生の送別会だった。就職や進学などの進路がようやく決まって、久しぶりに三年生全 員が集まることになっている。
だからといって寒いものは寒い。
薄着の秋丸は無邪気に雪を喜ぶことはできず、背中をまるめ両手をすり合せて寒さに耐えていると、待ち合わせをしていた榛名がひょいと現れた。その顔を見るなり、あわせた手もそのままに、秋丸は呆れてため息をつく。
「・・・・榛名。またケンカしたのか・・・」
「うっせ。ほっとけ」
不機嫌そうにそっぽをむいた榛名の頬にはみごとな赤い傷跡が刻まれている。秋丸が知るかぎり、榛 名にこんなことをしでかす人物は一人だけだ。シニアで榛名と組んでいた一つ年下のキャッチャーの タカヤ。じつは本人とはろくに会話をかわしたこともないが、中学時代からたびたび榛名の会話にで てくるので秋丸にとってはすっかりなじみの後輩だ。
タカヤとケンカした榛名が顔に傷を作るのはよくあることで、いったい二人はどんな付き合いをして いるのかと、おせっかい半分の好奇心を抱いてしまう。まあ、長年つきあっている友人の性格からして、おおかたの想像はできる。なんせ自分で温厚な性質だと自認する秋丸でさえ、榛名に蹴りをいれることはしょっちゅうなのだ。
ただ、タカヤはキャッチャーらしくというべきか、決してピッチャーの榛名の体に傷をつくりた くないらしい。だからといって、目立ってしかたない顔を狙うのもどうだろうと思うのだが、当の榛 名が気にしていないようなので、秋丸が口を挟むことではない。
やぶへびになるつもりもない秋丸はさっさと話題を切り替える。
「じゃあ行こうか。今から行けばちょうどいいくらいだよ」
「おう」
「とうとう、先輩たちとも今日でお別れだね」
「また会えんだろ」
「・・・・そりゃそうだけど」
あっさりと答える榛名に肩をすくめる。

武蔵野に入学してから二年間、ともに練習してきた先輩たちとも卒業してしまえば、離れ離れになる 。わかりきっていることとはいえ、やはり湿っぽい気分になってしまう。
ただ寂しいだけでなく、追い立てられるような不安を覚えるのは、 来年になれば自分と榛名もこうして離れていくことに気づかされるからだろう。
秋丸は中学・高校と、ずっと榛名と一緒に野球を続けられたことを幸運に思っている。
だが、プロをめざす榛名と野球ができるのは、きっとこの高校まで。
だからこそ、高校では悔いのないように同じ野球をめいいっぱい楽しむつもりだ。
そう願う根底にあるのは、中学時代、榛名が故障したときの記憶だ。榛名に忘れて欲しい記憶は、秋丸にとっても思い出したくない澱みだった。
あの頃、故障して荒れていた榛名を秋丸は支えきれなかった。それまでなんの疑いもなく榛名 の球を取り続けていたというのに、投げられなくなった榛名に、秋丸は何もしてや れなかった。
榛名が人を寄せ付けなかったといえばそれまでだが、実のところ、それまで見たこともない榛名のすさんだ目が怖かったし、そんなふうに榛名を怖いと感じてしまう自分が嫌だった。
シニアに行けばいいんじゃないかと言い出したのは誰だっただろう。
賛成して背中をおしたものの、傷ついた榛名を見捨てるような後ろめたい気分も味わっていた。
ずっと榛名の球を取り続けることが友人として大切なのじゃないか、と。
見守ることにしたといえば聞こえはよいが、秋丸は傷ついた榛名に距離をおいたのだ。
たぶん部活のメンバー全員が同じ気持ちだったんじゃないだろうか。
だけど、あの頃の自分たちはどうしようもなく子どもだったから、理不尽な監督に逆らうことなど思いつきもせず、それでも榛名が野球を捨てるなんてことがあってはいけないということだけはわかっていた。
シニアに入った榛名が、すこしずつ野球の話をするようになったときは素直に嬉しくて安心し たものだ。いつしかシニアの話をするとき、必ず一つ年下のキャッチャーの名前が出るようになっ て、同じポジションの立場として顔も知らない名前だけのタカヤに親しみを抱いていた。
それがあまりに気楽すぎる感想だったことは、高校に入ってから気づかされたのだが。
結局タカヤは榛名を許してくれたからよかったけど、そうじゃなかったらー

暗い想像と肌寒さがあいまって体にぞくりと震えが走ると、くしゃみをした。歩いているのに、いま だに体が温まらない。
「なあ、おまえ、そんなカッコで寒くねーの?」
今さらのように榛名が怪訝そうな顔を浮かべて訊いてくる。
「寒いよ。この頃は暖かい日が続いてたら油断したんだ」
「ばっかだなー。サンカンシオンだろ」
「・・・榛名、なんか悪いもの食った?」
「食ってねーよ。つか、タカヤが言ってたんだよ。また寒くなるから気をつけろって」
「ああ、なるほど」
それで、今日の榛名はちゃんと暖かそうな服装なわけだと秋丸は得心する。
「ケンカばっかりしてたらダメだよ」
「は?」
「タカヤのこと。いつもお前のこと考えてくれてるんだろ」
「・・・まぁな。・・・あ、そーだ」
何を思い出したのか、榛名は足を止めるとおもむろにコートに手を突っ込んで、ひっぱりだ した箱を無造作に秋丸の前に突き出した。
「やる。お前、たんじょーびだろ」
「・・・・ありがとう」
たしかに今日は秋丸の誕生日で、送別会といっしょに誕生会もしようなんて声もかけてもらっていた が、まさか榛名からプレゼントをもらうとは予想だにしていなかった。
でも、これって・・・。
手渡された箱は、水色の包装紙に白いリボンまでかけられている。まじまじと見つめていると気恥ず かしいのか、わざと怒ったように榛名が口をとがらす。
「んだよ。そんなびっくりしなくてもいいだろ」
「いや、あの。だいたい、榛名から誕生日プレゼントもらうなんて、はじめてだし」
「だっけ?それもタカヤがうるせえからな」
「タカヤが?」
「いつも世話になってるんだから、それくらいちゃんとしろって・・・がーーーっ!!」
突然、腹立たしげに榛名が吼える。
「うわっ、なに」
「そうなんだ。タカヤがそう言ってたから、買ったっつうのに。これ見せたら、いきなりすげー不機嫌になりやがって。あんたのそういう神経は理解できません、とかぬかしやがる。ったく、いったいなんなんだよ、あいつは!」
「榛名。これ、タカヤに見せたの?」
「ああ」
「オレにあげるって言った?」
「は?言った・・かな。覚えてねぇよ、そんなこと」
「それでケンカになったのか」
「だよ。くっそ、あいつマジでわかんねぇ」
苛立った様子の榛名を穏やかに、たしなめる。
「それ、タカヤも同じこと言ってるんじゃ・・・」
「んでだよっ。あいつのほうがよっぽどわかんねーよ!だいたいタレ目のくせに人を睨みつけやがっ て」
「それは関係ないだろ。・・・榛名、お前ほんとになんでタカヤが怒ったのかわからないのか」
「わかんねー。つか、お前にはわかんのかよ」
手渡された箱を榛名の目線まで持ち上げてやると、呆れ顔で秋丸は諭した。
「あのねえ、榛名。これはどう見てもホワイトデーのおかえし用だろう」
「へー。そういやプレゼントみたいな箱がいっぱいあったな」
「・・・おまえ、ホワイトデーが何かわかってるのか」
「ばかにすんなよ。好きなオンナにモノやる日だろ」
当然とばかりに胸を張って答える姿に、ダメだ、全然わかってない。と秋丸は肩をおとす。
「もしもタカヤがホワイトデーのプレゼント買ってたら、お前どう思う?」
「タカヤが買うわけねーだろ。あいつオレとつきあってんだから」
「いや、だから、もしもの話だよ。どうする?」
「ムカつく」
「それを榛名の目の前で買ってたら?」
「すげームカつく・・・あー!」
「わかった?榛名がまぎらわしいことをするから、女の子のプレゼントだって誤解したんだよ。気づいてあげなよ」
榛名は髪をかきむしる。
「そんなん、わかるわけねえだろ。だいたいふだんはウザいくらい口うるさいくせに、どうして あいつはこういうときは何も言わねえんだよ!」
「さあ、なんでだろうね。本人に訊きなよ」
「ったく、しょうがねーな」
舌うちすると、榛名は片手をあげた。
「悪ぃ。オレ、ちょっとだけ遅れるって先輩たちに謝っといてくれ」
「うん、いいよ。ていうか、いっそもう来なくてもいいんじゃない」
冷やかすように了承すると、きまじめな返事がかえってきた。
「そんなわけにはいかねえよ。世話になった三年の送別会だからな。すぐ戻る」
ホワイトデー用のプレゼントをよこす大雑把さはともかく、ちゃんとすぐにタカヤに説明しようとす るあたり、榛名も成長してるんだな。
慌しく立ち去る友人の背中を苦笑混じりに見送っていると、再び冷たい風が吹き抜けて、秋丸は身をすくめた。
隣にでかいのがいなくなると、とたんに寒くなるな。
ふと思う。
来年、さ来年の誕生日は誰が傍にいるんだろう。
今はまだ予想もつかない将来を考えることはたまらなく不安でいて、好奇心と期待で胸が騒ぐ。
完全に榛名の姿が視界から消え去ったのを見届けると、水色の箱を大切にコートにしまいこみ、風 に背中を押しされるように秋丸は歩き出した。

三月の風は過去を攫って未来に向う。




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秋丸の誕生日とホワイトデーとシニアと卒業を強引につめこんだのでめちゃくちゃに・・・
学生時代の三月ってあれこれもの思う時期ではないでしょうか。
榛名の故障は、きっと中学の部活メンバーにとっても衝撃だったと思うわけで。
怖くて近寄れなかったことを友人として歯がゆく感じたりしなかったのかなー。
中学生だからそこまで考えないのか、中学生だからこそ友情ってものを 思い悩んだりしたんじゃないかと思ったり。
しかし、こんなふうに書いといてなんですが、秋丸はけっこう現実的でしたたかそうなので、
何もしてあげられなかった、なんて考えたりしないかも。
(2008/3/15)