愛しているとか好きだとか


タクシーから降り立つと、春の夜の冷えた空気に目がさめる。
遠征が続いて、久しぶりの帰宅だというのに、機体トラブルのせいで予定時刻よりずいぶん遅くなってしまった 。時間はとっくに午前をまわっている。
タカヤはもう眠ってしまっただろうか、と玄関に鍵を差し込みながら考えると、自然に頬が弛む。
このドアを開けたら、中にタカヤが居るんだもんな。これってすげーことだよな。
「たっだいま」
声をかけたが返事も気配もない。やはり寝ているんだろうかと、リビングにつうじる扉を開けると、灯りをつけ たままで眠っている阿部の姿が見えた。ソファに倒れるように上体だけ伏せ、手元には小難しそうな文字の並んだ本が転がっている。
きっと、自分を待っててくれたのに違いない。決して自惚れではなくて、榛名は阿部がへんなところで律儀なこ とをよく知っている。
ソファの隙間に腰を下ろすと、体重がかからないよう背もたれに肘をついて、眠っている顔を覗き込んだ。連絡こそ 取っていたものの、阿部の姿を見るのは二週間ぶり。そもそも阿部がこの部屋に引越してきてから、一緒にいら れたのはほんの数日間だけだったから、こうして自分の部屋に阿部がいること自体、まだ見慣れない。
指をのばして、頬に触れても微動だにせず熟睡している姿に苦笑いが浮かぶ。
一緒に暮らすようになり、同じベッドに連れ込むことには成功したのに、手が出せなかったのはこの寝つきの よさのせいだった。
肩を揺さぶっても起きねえし。
引越し初日に懊悩させられた長い夜を思い出して首を振りつつ、阿部が起きないことをいいことに、髪を指で梳いた。
入学の前に切ったらしいが、中学時代にくらべればまだ長い。これはこれでいいけれど、また出会ったときみたいに短くしてみればいいのにと、そっと前髪をかきあげてみる。
あどけない寝顔ということもあり、額が現れると、子どもだったシニアの頃の顔が重なる。衝動のままに、額に唇で触れた。
唇を離して、顔をのぞきこむ。起きる気配は微塵もない。
どこまでやれんだろ。
あまりに無防備な姿に好奇心がわいてきて、こめかみに、頬に、鼻の頭にキスしてみた。耳朶に触れると、少し だけ身を震わせたが、すぐにまた静かな寝息をたてる。いくら眠りが深いとはいえ、ソファでうたた寝という不 安定な状態でこの反応のなさ。
・・・タカヤの奴、まさか、体の神経まで鈍いんじゃねえだろうな・・・。
何をしても隙だらけの体に、逆に不安になってくる。
気持ちよさげに眠っている姿を見下ろして、パーカーの襟をひっぱると現れた鎖骨を指でなぞった。あらわになった細くなめらかな首筋に唇をあててみる。とたん、びくりと体を跳ねた阿部が、嫌がるように身をよじって小さい唸り声をあげた。
「・・・ぅんー」
常にない声の甘い響きと、仕草に理性を奪われる。
あー、やべぇ、とまんねえ。
肩を掴んで、刺激から身を守るように丸まってしまった体を開いた。ソファについていた手で手首を捕らえると、遠慮なく体の上にのしかかる。頬に数回キスをしてから、首筋に唇をあてて、軽く歯をたてて強く吸った。
「・・・んん」
腕の中の阿部が目を閉じたまま呻く。反射的に逃れようともがく上体に体重をかけて動きを封じて、首筋から鎖骨へと唇を這わす。と、
「やめっ・・・」
「・・・っぐ!」
なじみのない強すぎる感覚から逃れようと、自由のきく足を暴れさせた阿部の膝が遠慮なく榛名のわき腹にはいった。いくら鍛えているからといっても、不意打ちの攻撃にさすがの榛名も動きが止まる。
「・・・ってーな、てめえ!」
「あ・・・れ?・・・もとき、さん?」
怒声が決定打となってようやく目を醒ました阿部は、寝起きのぼやけた声で目の前にいる榛名をを呼んだ。
「・・・いつのまに帰ってきたんすか?」
しばらく眠そうに目をこすってから、ようやく自分の置かれた状況を把握したのか、体の上にいる榛名を見て呆 れたように冷たく告げる。
「・・・寝苦しいと思ったら、またふざけてたんすか。いいかげんにしてください」
「でっ」
ぞんざいに手で顎を押し上げられて、榛名がのけぞる。
こんにゃろ、このままやっちまうぞ。
痛む顎を押さえながら睨みつけると、阿部の首筋にはっきりと赤い痕が浮き上がっているのが目に入った。やりすぎた、と口を押さえると同時に、いや、これはこれでいいかもしれないと思いなおす。
「なんすか?」
「あー、いや、なんでもねえ」
まじまじと見つめられた阿部が不審そうに尋ねてくるから、軽く手を振ってごまかした。
さすがにこの痕には気づくだろう。
そのときいったいどんな反応をかえしてくるのか、榛名は楽しみに待つことにした。


・・・おかしい、なんでタカヤは何も言ってこねえんだ。
はっきりと目立つ痕をつけたというのに、その後、阿部は何も言ってこなかった。もしかして気づいてないのだ ろうかと、あれから数回、寝てる間にあちこち痕をつけてみたが、やっぱり反応がない。
まさか、他につきあってる奴がいて、そいつのと混ざってわかんねーとか・・・。
いやいやいや、タカヤにかぎってそれはねーな。
思い浮かんだ疑惑を、一瞬で否定する。
恋愛沙汰に興味のなさそうな阿部が、誰かとつきあってる姿など考えられないし、そもそも体にそんな痕などなかった。
目が悪い、ってこともねーし。それともあいつ、まったく鏡を見てねえのか・・・。
風呂からあがった榛名が洗面所の鏡に映る自分の姿を見て、首を傾げながら浴室を出ると、ちょうどリビングに居た阿 部と目があった。
いつもなら、ちゃんと体を拭けだの、早くシャツを着ろだの、髪を乾かせだのと口うるさいのに、今日は黙って 風呂あがりの体を見つめてくる。誘っているといった艶めいたものではなく、何かを観察するような冷静で無機質な視線。
「んだよ。今さらオレの体に見惚れてんのかー」
榛名の軽い言葉には慣れきっているとばかり、無視をして阿部が呟いた。
「・・・元希さんは、大丈夫なんすね」
「何が?」
「虫ですよ」
「ムシ?」
「虫です。虫。最近、寝てる間に刺されてるんですよ。ほら、こことか、ここも」
そう言いながら、阿部は無造作にシャツをまくりあげると、肌をさらして、体中に散った赤い痕を一つ一つ指でさす。
「寝てる間に増えるからベッドのせいじゃねーかと思ってんすけど。つか、あんたが帰ってきてからですよ。こんなになったの。どっか遠征先でヘンなもん持って帰ってきたんじゃないんすか。ちゃんと着替えとかすぐに洗濯してもらってました?・・・元希さん?どうしたんすか」
自分がつけた痕を、まさかこれほど色気なく見せつけられるとは思ってもなかった榛名は、落胆のあまりしゃが みこみそうになる。阿部が色事に疎いことはわかっていたが、キスマークがわからないほどだなんて。
つうか・・・まさか・・・。
ふと、榛名の脳裏に最悪の不安がよぎる。思ったまま、真剣な声音で阿部の両肩を掴んで問いかけた。
「・・・タカヤ。お前、子どもがどうやってできるか知ってっか」
「・・・・・・」
突然すぎる問いに、阿部は無言のまま、これ以上ないくらい眉間に深く険しい皺を寄せる。
「まさか、知らねえのか・・・」
「知ってるよ!つか、あんたいきなり何言ってんだよ」
「コウノトリじゃねえんだぞ!!セックスなんだぞ!セックスってのはおしべとめしべが、っておしべってのは 人間でいうとチン・・・ってぇ!」
鈍い音がするくらい、容赦なく頭を叩かれて、榛名が手で押さえる。
「あにすんだよ!」
「うっせえ!なんでオレがあんたに性教育されなきゃなんねえんだよ」
「だよなー。あー、よかった。まさか、そこからはじめなきゃいけねえのかと焦ったぜ」
本気で怒っている阿部の姿に安堵する。それでも疑問が消えない榛名は重ねて問うた。
「なー、タカヤ。お前って、エロ本読んだりAV見たことあんの?」
「・・・。どうして今さらあんたと猥談しなきゃなんねえんすか」
「そっか。ねーんだな」
「あるに決まってんだろ!!あんた、いったいオレをなんだと思ってんだよ!!」
「あんのか。そっか。それでもわかんねえのか。そういうもんか」
「あんたは、さっきから、いったい何を・・・」
「でもヤッったことはねえんだよな?」
「・・・んなこと、どうでもいいでしょう」
途端に語気に勢いがなくなった阿部が目をそらす。
わかっていたこととはいえ、やっぱり未経験なんだとわかると顔がにやける。
「笑うな!何がおかしいんだよ。つか、あんたはどーなんだよ」
「知りてぇか?」
笑顔のままで、聞き返すと不機嫌そうに顔を背ける。
「べつに興味ないっす」
「うそつけ。興味があるから聞ーたんだろ。教えてやろうか」
「結構です」
「遠慮すんなって」
「遠慮じゃねぇよ!」
不機嫌にその場を立ち去ろうとする阿部の上腕を掴んで、足を払う。短い悲鳴を上げて沈む後頭部を、もう一方の手で支えながら 、二人して床に倒れこんだ。ずいぶん、あっけなく押し倒せるもんだと自分でも感心していると、驚きから立ち 直った阿部が怒鳴る。
「あっぶねーな!ふざけんなって言ってんだろ!どけって!あんた重いんだよっ。それにさっさと服着ろよ!髪も濡れてるし!」
悪態をつき体の下から抜け出そうともがくから、逃げられないよう両肩を強く床に押さえつけた。それでもまだ抗う阿部の姿を見つめていると、ふいに発火するような苛立ちがこみあげてくる。
男同士だから、迫られているなんて想像すらしないのかもしれないが、体にはっきりした痕をつけても、それが何かわからないだなんてあんまりじゃないだろうか。
このまま動きを封じて、思う存分やりたいようにやって、自分の気持ちを体でわからせてやったらどうなるだろう。たとえどんなに抵抗されても、押さえつけてしまえばいい。
もちろん男だから、暴れられたら大変だろうが、阿部の体は相変わらず細いし、力では榛名のほうがはるかに上だ。逆らわれても、ねじ伏せる自信はある。
そんなことをしたら泣くかな。きっと泣くだろう。
あーやばい。
考えているとそれだけで、体が暴走しそうになってくる。―――だけど
「・・・元希さん?どうしたんすか?」
訝しげに呼びかけてくる声に、我にかえる。
だけど、それじゃあダメだ。
体だけならすぐ手に入れられる。だが、それだと榛名の一番欲しいものは手に入らない。それが何なのかは自分でもよくわからない。とにかくそんな気がする。
手を伸ばして、不審そうに見上げている阿部の頬に触れて指を滑らせた。
自分が手で触れると、なぜかいつも阿部は緊張したように体を強ばらせる。そして、ゆっくりほどけるように弛む。 だけど今は、榛名の態度に常ならぬものを感じたのか、ずっと固くなったままだった。眉をひそめ、困惑したように榛名を見つめる大きな目は、さらに目尻がさがって不安げな色をたたえている。
シニアのときはこんな怯えた顔や、イヤがる姿を見るのがおもしろくて、いろいろちょっかいを出していたような気がする。今だって、このまま泣かせてみたい衝動はある。だけどそれよりもっとこの手で溶けるほど慈しんだり、甘やかしてやりたい。
これって、なんなんだろうな。
愛とか恋だなんて言葉はむず痒くてしっくりこないが、他に当てはまる言葉も思いつかないから、たぶんそういうものなのだろう。
「・・・元希さん?」
戸惑ったように阿部がもう一度名前を呼ぶ。声に少しだけ頼りない響きが混じっている。
しょうがねえなぁ。
安心させるように軽く笑ってやると、阿部の目からゆっくり警戒が解けていく。その素直な反応に煽られて、まだ固まっている額にキスをした。
「うわっ、何すんだよ!」
うろたえて額を抑える阿部から、名残惜しさを感じつつも潔く身を離して立ち上がる。
あー、オレってオトナ。
「なにニヤニヤしてんすか」
「タカヤ、オレがオトナでよかったな!」
いまだ床に転がったままの阿部に手を差し伸べてやる。
「こんな子どもみたいな真似するあんたの、いったいどこがどうオトナなんですか・・・」
手を借りて立ち上がりながら、呆れはてたようにこぼす。むくれた表情を浮かべ、榛名の唇が触れた額をしつこく拭っていた手が、ふと閃いたように止まる。
「あー、そういや、もうすぐ誕生日でしたっけ。・・・なんか欲しいもんありますか?」
「タカヤ」
即答すると、阿部がため息をつく。
「ふざけないで、まじめに答えてください」
「タカヤが欲しい」
目を見つめ、視線を合わせて顔を寄せると、臆したように阿部の表情が揺らぐ。じわじわ顔が赤く染まっていく。
「ったく、あんたの冗談にはつきあってらんねーよ」
阿部は動揺を断ち切るように告げると、背中を向け逃げ出した。が、すぐに慌しく舞い戻ってきて、シャツを乱暴に押しつけると、手にしたタオルで榛名の髪を包みこむ。
「つか、とっとと服着ろ!冷えるでしょうが!ほら髪も!」
どんなでも世話を焼かずにはいられない姿に、目をほそめる。
いつだって阿部は自分を大切にしてくれる。
なあ、タカヤ、気づいてねえだけでほんとはわかってんだろ。
気がつくまであと少しだけ。今は、こんな生活も悪くない。





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その後半年以上も待つことになるとは思ってもいない榛名なのだった。
榛名はなんでキスマークだけで我慢できるのか、わからなくなってきたんで書いてみました。
そして一周年企画で甘甘をご希望の方が多かったので、榛名を甘口にしました。(なんか間違ってる)
阿部がキスマークをわからないのは、きっと阿部が見たAVにはそんな場面がなかったからです。 きっとそうなんです。
男性向けってキスマークの描写が少ない気がする。(キヨラカだからよく知らないけど!)
(2008/6/19)