CSアフタービフォー


「走ってくる」
そっけなく告げて、榛名は出て行った。
閉ざされた無愛想な焦げ茶色のドアを見つめたまま、阿部は首を傾げる。
ここ最近、榛名の様子がおかしい。
遠征の連続で留守がちな榛名は、家にいるとき、うざったくなるくらい阿部をかまっていた。シーズンが終わったらどうなるんだろうと、気が重くなるほどに。
しかし、いざオフシーズンに入り、自宅で過ごす日が多くなった榛名は、拍子抜けするほど淡々としていた。それどころか、避けられているんじゃないかと思えるくらい阿部に近づいてこない。
夜は、今みたいに走りこみに出かけて帰ってこない。待つのに疲れた阿部が寝てしまって、翌朝目覚めると、すでに身支度を整えている。もともと、トレーニング量が多い榛名だが、ちゃんと寝ているんだろうかと心配になる。
いまだに優勝できなかったことを引きずっているのだろうか。
今シーズン、榛名の球団はペナントレースで2位となり、クライマックスシリーズに進出したが優勝はできず、日本シリーズへの進出は果たせなかった。
榛名は2年目のジンクスを囁かれる中、成績は球団トップの14勝。クライマックスシリーズでは緒戦の先発を任されて、若きエースの誕生として解説者たちに賞賛されていた。
だが、チームプレイを大切にする榛名だから、個人的に活躍したとしても、チームが優勝できなかったことがすっきりしないのかもしれない。
そう考えて、シーズンが終わってから、いつもと様子の違う榛名をそのままにしてきた。
4月から一緒に暮らしてきたが、榛名が試合によって落ち込んだり、弱音を吐く姿を見たことはない。そして阿部も榛名が敗れたときに、声をかけることはなかった。榛名から切り出さなければ、試合のことを話題にすることもない。
気にならないわけではなかった。だが、プロ野球という戦場で戦う榛名に、アマチュアの自分が口をはさむのはお門違いだと考えていた。
だが、今の榛名をこのままずっと放っておいていいのだろうか。
どうしたらいいのだろうと、阿部は静かな部屋の中でため息をついた。


食事の支度をしている阿部の姿を見ながら、榛名は小さくため息をついた。
2位で終わった今シーズン。優勝を逃したことは悔しいが、個人的には、そこそこの結果を残すことができた。来年は監督も主力選手の移動もないから、チームの結束が固いまま、来期にむけての調整がはじまっていた。
そんな順調なオフシーズンのはじまりの中で、榛名を悩ませている問題が一つ。
阿部と暮らし始めて半年以上、まさか阿部と一緒にいることが憂鬱になる日がこようとは。
一緒にいたくないわけではない。遠征の多いシーズン中と違って、阿部の顔を毎日見ることができるのは嬉しい。もとはといえば、そのために無理矢理同居させたのだから。
だが、困ったことにシーズンが終わり、ずっと一緒にいても阿部はあいかわらず阿部だった。
中学時代に出会った年下の生意気な捕手を、特別に好きだと気づいたのが高校時代。それ以来、あの手この手で、気持ちを伝えてきたというのに、いまだに阿部は榛名の好意に気づきかけもしない。
今さら、どうすりゃいいんだ。
阿部の意思を尊重しよう、と考えてはいるものの、好きだという言葉すらかわされてしまう。
シーズン中という緊張の糸が緩んだ上、一緒にすごす時間が長ければ長いほど、精神的にも肉体的にも、自分が我慢の限界に達しかけているのを榛名は感じていた。
据え膳状態の阿部から離れ、トレーニング量を増やして何とかしのいでいるというのに、こんなときにかぎって阿部は榛名の買ったエプロンつけて食事の支度をしている。
ちくしょう。やっぱかわいいぞ。似合うじゃねえかタカヤ。
つい阿部の背中に伸びそうになる左手を、右手で必死に食い止めていると、ひょいと阿部が振り返った。
「なんすか?」
「なっ、なんでもねえ!つか、すげーメシだな」
ごまかすための咄嗟の言葉だったが、実際そのとおりだった。
食卓に並ぶのは、肉やうなぎといった重厚なメニューが中心。野菜は油でギラギラしている上にニンニクの匂いがする。うまそうではあるのだが、この頃、こういった血の気の増えそうな食事が多くて、追い詰められている榛名は素直に喜べない。
「・・・なあ、タカヤ。ここ最近、食事が豪華すぎやしねえか?」
「あー。元希さん疲れてるみたいだから、元気のでそうなもんを作ってんすけど」
―――だしたくねええええええ!!!
「元希さん?顔色悪いですよ。ほら、しっかり食べて」
頬をこわばらせていると、親切にも阿部が箸でつまんで、うなぎを口に差し出してくる。
―――上目遣いでオレを見るなああああ!!!!
大声で気持ちを叫べたらどんなにラクだろう。榛名は心の中でため息をつく。
「いや、いらねぇ」
「じゃあ、これ飲みます?」
口を開かない榛名に諦めて箸を置いた阿部が、テーブルに置いてあったグラスを手に取る。
「・・・なんだよ、それ」
見るからに怪しい、藻のようなぬめりを感じさせる深緑色の液体に、榛名が肩をひく。
「えーと。なんだったかな?とにかく、めちゃくちゃ元気になるって田島からもらったんすけど。すげー精がつくとか・・・」
「絶っ対、飲まねえよ!!」
もう、まじで勘弁してくれ。


「助けてくれ、秋丸」
「あのね、夜更けにかけてきて、いきなりそんなこと言われても」
電話越しに、気だるげな声がかえってくる。
「しかたねえだろ!!オレだってせっぱつまってんだよ!!」
「何を今さら・・・」
「シーズン終わって、ずっーとタカヤと一緒なんだぞ。試合もねえし、どうやって自分を止めたらいいのかわかんねえよ!!」
「あー、それはそれは・・・」
呆れたように秋丸は息を吐くと、淡々と告げた。
「じゃあ、もうやっちゃえばいいんじゃない」
「や・・・!ば、ばっか、てめー、なんてこと言うんだよ!」
「・・・榛名って、本気の相手には、意外に奥手だよね。顔は派手なのに」
哀れむような言葉に、榛名はむくれる。
「うっせ。お前みたいなムッツリといっしょにすんな!」
「誰がムッツリだよ」
「ヘーぜんと女トイレに入るじゃねえか」
「はあ?そんなことしてないよ。人を変態みたいに言うな」
秋丸が、抗議の声をあげる。
「いーや。入った!昔、抽選会で、ミハシと初めて会ったときだ」
「三橋・・・?・・・・・・・・・あー、お前、よくそんな前のこと覚えてるな」
記憶をたどったのか、しばしの間をおいてから、秋丸が感心したように呟く。
「忘れらんねーよ。女トイレに入れるなんて、秋丸すげー!って感動したかんな」
「だから、入ってないって。あれは、頼んで紙を取ってもらったんだよ」
「同じことだろ」
「全然違うね。とにかく、オレは普通。榛名が奥手すぎるんだよ。タカヤはどうしようもない鈍感だから、そんなんじゃ永遠にそのまんまだろ。辛いんなら実力行使しろよ」
「・・・・・・押し倒せってことか」
「ってことだね。今だって、キスマークつけてるんだから、できるだろ。ほら、今すぐやってくれば」
言葉と同時に眠たげなあくびの音が聞こえてくる。
「・・・秋丸。てめー眠いからって適当に言ってんじゃねえのか」


阿部はベッドでごろんと寝返りを打つと、うつ伏せの状態のまま視線だけで隣を見た。広いベッドは寝返りを打っても、まだまだ余裕があってそっけなく白いシーツが広がっている。榛名がいないときは、広さを堪能するために、思いっきり手足を伸ばして大の字になることもある。だが、今日はそんな気になれなかった。
一緒に寝たい、というのではない。断じて、そんなことはない。ただ榛名がいるのに、横にいないのは物足りない気がする。
ドアの向こう、榛名が電話でやりとりしている声が、かすかに聞こえる。日付を越えた遅い時間でも、遠慮なく電話しているということは秋丸だろう。声を潜めているのか会話の内容まではわからなかった。いつもの榛名なら遠慮なしに大声で話すから、阿部が気をつかってしまうくらい会話がつつぬけだというのに。
今は、聞かれたくないってことか。
榛名は秋丸になら悩みを打ち明けたりするんだろうか。
するんだろうな。長いつきあいだし、同じ年だし。
別にいいけど。
いいけど、頭ではわかっているのに、なぜかすっきりしない。胸の中に不明瞭なしこりがあって、落ち着かず、イライラする。
自分だって、困ったときや悩んだときは榛名に相談せずに他の奴に話す・・・だろうか。
花井、とか、栄口とか?・・・するかな、しないかもしれない。
いやいやいや、オレだって友だちくらいいるし!
頭を振って、上掛けの中にもぐりこんだ。榛名の声を聞きたくない。眠りたくて瞼が痛くなるほど目を強く閉じた。
まもなくして、話し声が止まった。今日はどうするつもりなんだろう。また、走りにいくんだろうか。
目を閉じた暗闇の中、そんなことを考えていると、ドアの開く音がして、榛名が入ってくる気配がした。静かな足音とともに、近づいてきて、ベッドの傍で止まった。見えないのに、榛名に見つめられているようなむず痒い感触がする。かくれんぼをしているような緊張に耐え切れず、阿部は上掛けをめくって顔を出した。
「うおっ!」
顔を出した瞬間、目が合って、傍らに立っていた榛名が大げさに驚く。
「そこまで驚かなくても」
「んだよ。まだ起きてたんか」
「寝つけなかったもんで。つか、元希さんこそ寝ないんすか」
「・・・・・・あー。先に寝てろよ」
身を起こして問いかけると、気まずそうに榛名が頭を掻いた。
「もしかして、眠れないんすか」
「そーいうわけじゃねえよ」
「けど最近、あんまり寝てないんじゃないすか」
「んなことねえよ」
「だって、いつもオレより後に寝て、先に起きてるだろ」
「そうだっけ」
とぼけて、阿部から視線をそらす姿に、胸の中のしこりがモヤモヤと膨れ上がる。だが、なんと言葉をかけていいのかわからない。
「・・・・・・元希さん・・・」
「どうした?」
「・・・・・・あの」
「んだよ?」
「なんか、困ってます?」
「べつに、困ってなんかねーよ」
「・・・・・・」
そう答えられると、言葉が続かない。
いつもの榛名と違うことは間違いないのに、どうすることもできない。自分の不甲斐なさに、ますます胸が塞ぐ。
自分が落ち込んでいたとき、榛名だったら―――
阿部はベッドの上を這うと、榛名のもとに歩み寄った。膝立ちになると、意を決して、傍にいた榛名の肩めがけて腕を伸ばして、硬い体を精一杯の力で抱きしめた。
「た、た、た、た、たかやっ?」
驚いた榛名が体のバランスを崩す。ベッドにひきずりこむように、さらに強く胸の中に抱きしめた。
「タカヤ!」
もがく榛名の声が、胸のあたりから響いてくる。
「じっとしててください」
「なにしてんだよっ」
「元気出せって」
「は?」
「あんたらしくねーってこと」
「なにがだよ」
「ここんとこ、あんたヘンだろ」
「・・・・・・」
やはり思い当たる節があるのか、榛名が黙り込む。強く抱きこんでいるから、顔は見えなかった。はねた長めの髪が、頬に触れてくすぐったい。何度も抱きしめられたことはあったけれど、抱きしめたことはなかった。こうしていると不思議と榛名がかわいく感じられるものだな。
つむじを見つけて、そんなことを考えていると、榛名が居心地悪そうに沈黙を破った。
「・・・タカヤ、あの、シャツのボタンが開いてんだけど」
「黙っててください」
「タカヤ、もういいから」
「ダメです」
「いいっつってんだろ」
「イヤです」
「いいから、離せってば!」
身を捩った榛名が腕の中から抜け出す。珍しく焦ったような顔で、立ち去ろうとするから腕を掴んで引き止めた。
「・・・・・・オレじゃダメなんすか」
「あ?」
「オレだって、たまには、あんたをなぐさめたりしてーんだよ!」


「タカヤ・・・」
声を荒げた阿部の姿に榛名は目を見張る。いきなり抱きつかれて、熱くなっていた血が ゆっくり冷めていく。
いったいどうしたのかと驚いたが、どうやら阿部もこの頃の榛名の変化に気がついて心配してくれていたらしい。観念してため息をついた。
「わかった。オレが悪かった。だから泣くなよ」
「泣いてねーよ」
そう言いながら、慌てて潤んだ目を指でこする。中学生のときから、何度も見てきた姿に榛名は目を細める。
「お前、興奮すると涙目になんだよな」
「しょうがないだろ。家系なんだよ!」
頬を紅潮させて、そっぽを向く。
恥ずかしそうに背けている顔に、そっと指を伸ばすと、訝しげに視線だけ向けてくる。
「心配してくれて、ありがとな」
「べつに、心配なんてしてねーよ」
阿部らしい、つっけんどんな言い方に顔が弛む。
「落ち込んでたわけじゃねえんだ。でも、オレが考えてることを知ったら、タカヤ、すげーびっくりするぞ」
榛名の言葉に、きょとんとしてから阿部が小さく笑う。
「高校で、オレ、シニアと全然違う元希さんに、めちゃくちゃびっくりしたんです。だから、大丈夫っすよ。もっと、オレの知らないあんたを見たいです」
「・・・・・・・・・タカヤ」
再び血が熱くなる。まっすぐな目でこんなことを言われたら、もう我慢なんてできない。
榛名は目の前にいる阿部の腰に手を回して引き寄せて、強く抱きしめた。
「も、元希さんっ?」
焦ったように発せられた声は高く、耳に甘い。腕の中に阿部を抱えたまま、ベッドに倒れこむ。抗うように、もがいて伸ばされる両腕を軽々と捕らえて、シーツに押しつける。
「やめろって!」
制止の声をあげながら、嫌がって首を振る姿が、なおさら愛おしい。身をよじって暴れるから、ボタンの開いていたシャツが乱れ、いっそうはだけていく。
吸い寄せられるように首筋に顔を埋めた。
「んっ・・・ちょっ・・・や、めっ・・・」
「いっ・・・・・・!!!」
唇で触れかけた瞬間、阿部の膝が容赦なく腹を蹴りあげてきた。
「いってーな!!!何すんだよ!」
突然の攻撃の衝撃を腹を押さえてやり過ごしながら、榛名が怒鳴る。
ベッドに倒されていた阿部が起き上がって、負けじと怒鳴り返した。
「そりゃ、こっちの台詞だろ!ったく。あんたって人は・・・、こっちがまじめに心配してやってんのにふざけんなっ!!!」
「ふざけてねえよ!!!オレはお前が好きなんだよ!」
「いっつもいっつも。それがふざけてんだよ!」
「ふざけてねえ!オレは本気だっつーの!!」
「本気でふざけるな!!」
「だから、ふざけてねえってば!!」
「いいかげんにしろって!!」
息が続かなくなったのか、阿部が肩を落として深呼吸する。と、次の瞬間、こらえきれないように笑った。
「な、なんだよ」
「もう、いいっす」
「?」
「ふざけられるだけの元気がでたってことっすね」
「は?」
「最近のあんたは、そういうのもなかったし。びっくりしたしたけど、いつものあんたに戻って安心しました」
晴れやかな笑顔を浮かべた阿部は、満足したように伸びをした。
「んじゃ、寝ます。おやすみなさい」
笑って潤んだ目を拭いながら、さっさとベッドの中に入っていく。
「え、いや、待て、タカヤ!まだ、終わってねーぞ」
呼び止められた阿部は、呆れたように一瞥を向ける。
「しつこいっすよ。元希さん。もう元気が出たんなら寝てください」
「ちょ、元気だからこそ寝れねえんじゃねえか!!」
「じゃ、また走ってくりゃいいんじゃないすか」
そっけなく言うと、榛名に背を向けるように上掛けの中にもぐりこんで寝てしまった。
「ちょ、そりゃねえだろ、タカヤ。なんでこうなるんだ。お前、本気で犯すぞ。本気だぞ。脅しじゃねえぞ!!いいのか。おい、タカヤ――――!!!」
しじまに、榛名の叫び声が響き渡ったのだった。





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おまけ倉庫に後日の阿部をちょっとだけ。
聖夜にロマンの欠片もない話をあげてごめんなさい。
榛名に押し倒されて安心する阿部もたいがいですね。
タイトルは野球のクライマックスシリーズ後であり、
これからくっつく話になるので、その前ってことでアフター・ビフォー。
説明が必要なタイトルをつけるのは、もうやめたい。
リクエストくださった方、ありがとうございました!デレが足りなかったかも・・・。
(2008/12/24)