かげぼうし(※シニア時代の捏造後輩ピッチャーとタカヤと榛名。興味のない人はまわれ右。)
三年生が卒団して、オレは隆也さんと組むことになった。
元希さんのいないマウンドで隆也さんに投げるのはオレだけ。
いつも意識していた元希さんがあっけなくいなくなって、これで隆也さんを自分のものだけにできるという子どもじみた独占欲と、不戦勝で勝ち上がったような空虚さで、落ち着かない日々が続いていた。
今までと変わらない淡々とした様子の隆也さんは、元希さんがいないことをどう感じているんだろう、なんて虚しいことを考えていたら「気を抜くな」と怒鳴られた。捕手だからなのか地声なのか隆也さんはやたら声がデカい。
慌てて投球練習に集中していると、隆也さんの声につられたように監督がやってきた。温和な監督は口をはさまず黙ってニコニコとオレたちを眺めていたが、投球練習が終わると近づいてきて、
「健太は元希と背格好が似てるから、やりやすいだろう」
穏やかに声をかけてきた。
「・・・・・・全然、似てませんよ」
無表情のままの隆也さんがそっけなく答える。気まずい空気を払うようにオレは監督におどけて告げた。
「オレは元希さんより、もっとすごくなりますよ」
「そりゃ、頼もしいな。健太」
監督が楽しそうに笑っているあいだ、隆也さんは無言のままだった。
オレはへらへらしながら、腹の中がたぎるように熱いのは、元希さんに似ていると監督に言われたからなのか、似てないと隆也さんに言われたからなのか考えていた。
練習の帰り道、自転車で夜道を進んでいると前方に沿道を走る人影を見つけた。悔しいほどに意識して見慣れた背中。元希さんだ。
このまま駆けぬけてしまおうか、きっと元希さんはオレだと気づかない。
悩んでいると道の向こうで赤いランプが点滅し、甲高い警報が鳴り響いた。ゆっくりと閉じる踏切の遮断機に人影が立ち止まる。
迷いを断ち切られた気分で、オレはその隣に自転車を並べた。
パーカーのフードを被っているから顔は見えなかったけれど、長い前髪、整った鼻梁、間違いなく元希さんだ。その場で足踏みし、体を弾ませている姿に向って、警報に消されない大きな声をかける。
「ちわっす」
フード越し、こちらに訝るような視線を向けた元希さんは、一瞬の間をおいてオレに気づいた。
「・・・・・・おう!練習の帰りか?」
「そうっす。元希さんは、走りこみですか」
「まーな」
「・・・受験勉強、とかしなくて大丈夫なんすか」
「ヤなこと聞くな、お前。どーせ忘れんだから、ベンキョーなんてギリギリになってからでいいんだよ」
「そうっすか・・・」
会話が続かない。踏切が上がるまでのわずかな時間が、やけに長い。
何を喋ろうと考えてかけて、けたたましい警報の音に邪魔をされる。
オレは元希さんに会ったら言いたくて、だけど言ってはいけないと思っていたことを口にしていた。
「オレ、今、隆也さんと組んでます」
「へえ・・・」
ゆっくりと元希さんの目がオレに向けられる。
せわしなく瞬く踏切の赤いランプが、元希さんの鋭い目に剣呑な光を灯す。飲み込まれそうになるのを踏ん張って、オレは見返した。この人には負けたくない。
ひときわ高い警笛が鳴った後、すべてを覆い隠すような激しい音をたて電車が通っていく。
電車が通り過ぎると、耳障りな警報の音が止まり、遮断機があがった。せき止められていた人や車がいっせいに流れ始める。
「んじゃ、お先に失礼します」
オレは元希さんから目を逸らすと、自転車のペダルに足をかけた。
「・・・なあ、あいつ、いいだろ」
元希さんが囁くように言った。
「は?」
「タカヤだよ。あいつ、オレがたっぷり仕込んでやってるからな」
「・・・失礼します」
頭を下げて、走りだす。
元希さんの口元に浮かんだ笑みから逃げるようにペダルを強く踏んだ。
「健太、手、見せてみろ」
当番のグラウンド整備を終えてロッカールームに戻ると、一人で残っていた隆也さんに声をかけられた。
「お前、今日の投げ方、変じゃなかったか?どっか痛めてねぇ?」
隆也さんと組んではじめて気がついたことは、とにかくやたらオレの体調に気をつかってくれることだ。特に手と指には神経質なほどに。
呆れながらもおとなしく手を出すと、指をとられる。真剣な顔で見つめながら、親指の腹で確かめるように、オレの人差し指を撫でる。
隆也さんと繋がった指先の脈がズキズキと熱く音をたて始める。
「ここ、爪がちょっと傷みかけてるじゃねえか。マニキュア塗っといたほうがいいぞ」
「いいっすよ。そこまでしなくても。めんどくさいし」
「投手なんだから、指は大切にしろ。めんどくせーんなら塗ってやるから」
爪を保護するためにマニキュアをすると聞いたことはあるけれど、少年野球でそこまでケアするだろうか。オレはプロを目指しているわけじゃない。―――元希さんのように。
指や手に敏感で、投手を過剰なまでに保護する隆也さんが、元希さんに影響されているのは明らかだ。もちろん、あの人の凄さはオレにもわかっている。元希さんの投げる姿を見て、憧れて、このチームに入団したくらいなんだから。だけど、
――あいつはオレがたっぷり仕込んでるからな
「元希さんに、塗らされてたんですか」
「ん?なんか言ったか」
呟いた声が聞き取れなかったのか、隆也さんが不思議そうに顔をあげる。
きょとんとした無防備な顔に、熱く気が昂ぶる。この澄んだ顔を崩してやりたい。
「オレ、この前、元希さんに会いましたよ」
「・・・・・・へえ」
なんでもないような返事をする前、隆也さんの目が一瞬だけ不安定に揺らぐのをオレは見ていた。
ああ、この目だ。元希さんがいなくなってから見せることのなかった壊れそうな表情。
「走りこみしてました」
「ふーん」
「すごいっスよね。オレ、あんなコツコツ一人で走れねぇ」
「そうだな」
「あの人に比べたら・・・背格好が似ているだけのオレじゃあ満足できませんよね」
元希さんの話をしているあいだ、どうでもよさそうなふりをしていた隆也さんがたちまち苦い顔になる。
「んなわけねえだろ。監督の言ったことなんか気にすんな。お前は、お前らしく投げりゃいーんだよ。前のピッチャーのことなんて忘れろ」
「でも、隆也さんは忘れてないでしょう」
言葉で追い詰めると、隆也さんは視線をそらせた。
「覚えてねーよ、あんな奴」
あからさまな嘘の返事を耳にして、苛立ちにも似たざわめきが胸に宿り、溢れ出す。
「あの人は、あんたのことなんてもう覚えてないでしょうね」
突き放すように告げた。隆也さんの表情がこわばる。
傷ついた瞳。泣きそうなことなんてバレバレなのに、あくまでも平静さをとりつくろう姿に、今まで感じたことのなかった凶暴な感情を煽られる。いつになったら落ちるんだ。もっともっと、傷つけて、泣かせて、汚したらオレのものになるんだろうか。
ああ、そうか。
元希さんもこんな気持ちだったのか。
わかりたくなかった。こんなことで憧れていたあの人に近づきたくなかった。
勝気に上目遣いで睨んでくる姿に、理性がはじける。目の前の細い体に腕を伸ばした。
「―――――健太?」
黒く濃く、隆也さんの中にはずっとあの人がいる。
見えない影は消すことが出来ないから、オレの闇で塗りつぶす。