これが恋かと問われれば3


あれは本当の出来事だったのか。
たった数日前の出来事なのに、考えるほどにわからなくなってイライラする。
そもそも自分はあまり過去のことは振り返らないほうだ。
昔のことだってあまり覚えてない。
とくに中学で故障して、しばらくの記憶は曖昧で、それなのに唯一鮮やかに覚えているのは、 シニアで組んでたキャッチャーのこと。一年後輩でチビのくせにやたら生意気な奴だった。 一学年違えば王様っつー体育会の世界で、あんなふうに先輩につっかかってくる奴は
ちょっと珍しい。
いつもまっすぐな目で、ひたむきに自分に意見する姿が面白くて、ちょっとからかってやったら、 ますますムキになって怒る。
・・・そういえば、怒りすぎると涙目になる顔が、やけにかわいく見えて、 もっと泣かせてみたいなんて考えて、そんな自分がやばいなあと思ったこともあったな。
いや、だからって・・

「!!!」
「榛名!ストーップ!」
榛名は、悲鳴のような秋丸の叫び声で我にかえった。
見れば秋丸の背後のフェンスが派手にひっくりかえって、土ぼこりをあげている。
気づかなかったが、おそらく自分がやったのだろう。
少し離れたところにいる先輩達が遠巻きに、 恐怖の面持ちでこちらの様子をうかがっているのがわかる。
「どうしたの?いくらなんでも、集中とぎれすぎだよ!」
つきあいの古い秋丸は、榛名の暴投には慣れっこだ。
それでもフェンスを倒すなんてことは今までにもなかったことなので、 さすがに驚いた様子で近づいてくる。
「どうしたん。なんかこの頃調子おかしいよ」
「んー」
「今はぼんやりしてただろ。そんなんで投げるなんて・・」
「悪ぃ」
たしかにここ数日の自分は集中力に欠けている。榛名自身だってよくわかっている。
それもこれもみんな、あの・・・。
いつもなら軽口をかえすのに、なおもぼんやりしている榛名の姿に驚いて 心配そうに秋丸が声をひそめる。
「なんかあったの?」
「・・・・・なあ、秋丸」
珍しく、考え込んだような表情で口を開く榛名に、 いったいどんな重い悩み事があるのかと秋丸は耳を傾ける。
「この前の試合が終ったあと、お前、タカヤ見た?」
「へ?タカヤ?ああ、シニアのときのキャッチャーの子か。 そういえば試合が終ったあと二人でなんか話してたよね。それがどうしたの」
「そうだよな。いたよな」
榛名は納得したように頷いている。
「・・お前さ、俺の手、握れる?」
「はああ?」
「いや、握んねーよな。ふつー。うん、握らねー。」
「は、榛名?」
何を突然言い出すのだろうかこの男は。
思いつきの言動が多い友人ではあるが、今の会話のながれが秋丸にはさっぱりわからなかった。
しかし、言葉にしたことで榛名の中では何かが解決したようで、迷いをふりきったような表情になる。
「よし!俺ちょっと行ってくるわ」
いうやいなや駆け出していく。
「え、行くって?どこへ?おい、榛名!」

凄まじい荒れ球を見ていた主将から、こころよくロードランニングの許可を得た榛名は、 しかし走り出さずに駐輪場に向うと自転車にまたがりそのまま学外へとこぎ出した。
ちくしょう、貴重な練習時間だっつーのに。それもこれもみんな、あのクソチビタカヤのせいだ!
この前の試合終了後、偵察にやってきたというタカヤは何を思ったか突然自分の手を握り締めると、 好きだ、と告げた。しかもこちらが呆然となっている間に、今までに見たことないような 極上の笑顔をふりまいて、さっさと帰ってしまったのだ。
いったいあれは何だったのだろうか。
くっそ、あんなかわいい顔されたら、めっちゃ気になるじゃねえか!
連絡をとろうにも、タカヤの携帯の番号もアドレスも知らない。
シニア時代の連絡表には自宅の番号が書かれていたはずだが、 そんなもんとっくにどこに行ったかわからない。
家はそう離れていないから、稀にばったり出くわすことはあったけれど、 そんな偶然を待ってはいられない。
イライラしながら日数を重ねるうちに、タカヤが自分の手を握って告白するだなんて、 あまりにも突拍子のない出来事すぎて、もしかして夢を見たんじゃないかと思えてきたほどだ。
しかし、秋丸も見たというからには、やはりあのタカヤは幻ではない。
グズグズ考えるのは苦手だ。
こういうときは、わけのわからないことを言い出したタカヤにきっちり責任とらせないといけない。

ともかく連絡先はわからないけれど、確実にわかるのは、タカヤは今ニシウラにいるってことだ。 同じ高校球児、平日の放課後は練習中なのに間違いない。
つーものの、ニシウラってどこにあるんだ?
自転車をこぎながら、今さらのようにニシウラがどこにあるのか知らないことに気づく。
ま、秋丸が同じ地区って言ってたし、ニシってことは西にあるんだよな。
ってことは、右だよな。
根拠のない確信でもって、榛名は右に向って走り出した。

自転車で走ること約40分、榛名は西浦高校にたどりついた。
当てずっぽうながら、奇跡的に方向は間違っていなかったらしく途中で人に道を確認し、 軽く軌道修正しただけで到着したのだ。
オレってやっぱりすげーな。
自画自賛しながら周囲を見回すと、辺りは畑だらけ、ニシウラは広々としてのんびりした 環境の学校だった。ときおり練習着のまま自転車に乗った学生たちが、 行き来している姿が見えるということは、あの道がグラウンドに通じているのかもしれない。
とりあえずグラウンドに行きゃタカヤに会えるだろう。
のんびりと自転車を走らせようとした、その瞬間、
「ああっ!榛名だ!」
背後でひときわ大きな声が自分の名前を呼ぶのを聞いて振り返る。
そこにいたのは小さいけどやたら元気いっぱいの奴で、 しかし、ソバカスの目立つ人懐っこそうな顔は榛名の知った顔ではない。
「すげー、榛名だ。榛名!何しに来てんの?」
埼玉の高校野球界で、そこそこの知名度があることは自覚しているけれど、 ここまで気軽に声をかけられたことはなかった。
馴れ馴れしくまとわりつくそいつを訝しげに見ていると、その背後で隠れるようにしながらも きょろきょろと榛名の様子を窺っているもう一人の姿が眼に入る。
ふわふわした髪、おどおどした表情、ひょろひょろした身体にどこかで見たような既視感を覚える。
っつーか、こいつらの練習着、野球部だよな。
ってことはタカヤのチームメイトか?
そういや、後ろのおどおどした奴、どこかで会ったことが・・・
自慢じゃないが記憶力はいいほうではない。
はなはだ頼りない記憶の引き出しをひっぱりだそうとしていると、
「あー!わかった!」
突然に小さい奴が叫び声をあげる。
「榛名、阿部に会いに来たんだろ!呼んで来てやるよ!ちょい待ってて!」
そう言うやいなやそいつは返事も聞かずに走り出してしまう。
なんだかよくわからないが、タカヤを呼んで来てくれるというなら結果オーライだ。
ここで待っていればいいのだろう。
あっという間に遠ざかり、小さくなっていく背中を少しあっけにとられながら見送って、 ふと下に目線をやると一人取り残された奴が「た・・たじ・・ま・・くん」と呟いて、 前へ進もうか後ろへ下がろうか迷っているように、グラグラ揺れていた。
この姿、やっぱりどこかで見たことがある・・・。
「あ!そうだ、てめえ、ニシウラのピッチャー!」
思い出したままに言葉にしただけなのに、目の前の投手はフラフラと崩れ落ちそうになった。
「は、は、はぃ・・・そう、です」
消え入りそうな小さな声。
抽選会のときも思ったが、やたらひ弱そうなピッチャーだ。
こんなんでマウンド登れんのかよ。
「なあ、おい、お前」
「・・はっ、はい!」
「うおっ」
声をかけると、こっちが驚くくらいの勢いで跳ね上がった。
ヘンな奴だと思いつつ、重ねて問う。
「お前、ピッチャーなんだろ」
「う・・え・・は、はい」
「どう?」
「え・・・どう・・って?」
「タカヤはどうだって聞いてんの」
「た・・か・・?・・あ、阿部くん?」
「そーだよ」
「・・・・・・・。」
「おーい。俺の言葉わかるか?」
こいつ、なんかの病気持ちなのか?
顔は青いし、汗をダラダラ流してて、目の焦点あってねえし。
あのタカヤが、こんなピッチャーと組んでんのかよ。
「・・・あ、阿部くんは・・す、すごい人です」
かなりの間をおいて、ようやく震えるピッチャーはかすれるような声で答えた。
「すごい人ぉ?」
聞き返した榛名の声に、また驚いてよろけながらも、言葉を続ける。
「すごい、キャッチャーです。  阿部君の、リードがなきゃ、オレは・・投げられません」
「・・ふーん」
ってことは、こいつはタカヤのリードどおりに投げてんのか。
シニア時代の榛名と阿部は配球のことで幾度となく衝突した。
しかし、最終的に投げるのはピッチャーだ。
榛名がタカヤのリードに従ったことなど、ほとんどなかった。
そんなのは当然のことだから、今だってタカヤへの罪悪感などまったくないのに、 なぜか榛名には現在のタカヤのピッチャーの言葉がひっかかる。
「は、榛名さん・・」
「ああ?」
イライラした気分のまま問い返すと、またしてもびくついていたようだが、 意を決したようにそのまま話しかけてきた。
「は、榛名さんは、なんで、阿部君のこと・・・」
「三橋!」
だが、小さな問いかけの声は校舎も震えんばかりに響き渡った声にかき消されてしまった。
「お、タカヤ」
さきほど、小さな背中が消えていった方向から、血相を変えた阿部がもの凄い勢いで向ってくる。 あっという間に二人のところにまでやってきた阿部は、 グラウンドから走ってやってきたのだろう、肩で息をしている。
「あいかわらず、でけー声」
「あ、阿部・・くん」
あいかわらずの黒々とした印象的な目で、榛名の姿を睨みつけるように一瞬だけ見つめた阿部は、 しかしすぐに目をそむけ、おどおどと阿部と榛名の両方に視線をさまよわせている ピッチャーの手をひっぱった。
「三橋。こんな奴といたら、ノーコンがうつるぞ」
「え・あ・・」
「なーんだよ。そのいいぐさ」
「お前、先にグラウンド行っとけ」
なおも落ち着かず視線をさまよわせるピッチャーにだけ告げて、 榛名とは目をあわせようともしない。
「え、あ、でも阿部君、は、榛名さん、は」
「いいから。先に行ってろ」
「う、ん」
阿部の言葉にふわふわ頭のピッチャーがおとなしく頷いた。
なぜだか、そんな二人のやりとりが榛名を苛立たせる。
「あ、阿部君。・・ちゃんと来る、よね」
「当たり前だろ。すぐに行くから、さっさと行け」
「・・う、うん」
華奢なピッチャーは、最後にちらりと榛名を目をむけると、 阿部に言われるままグラウンドへと去っていった。
その姿が消えてから、ようやく阿部が榛名に視線を向ける。
「・・で、あんたはいったい何しに来てるんすか」
「タカヤに会いに」
ふてくされたように呟く。
「はあ?」
「うっせえな。お前に会いに来たっつてんだよ!」
「なんでいきなりキレんすか」
「キれてなんかいねーよ」
強く言い返すと、阿部はさらに返そうとした言葉をのみこむようにして、 代わりに一つ大きく息を吐く。
「あんだよ」
「元希さん、武蔵野の服のまんまじゃないですか。いくらなんでも目立ちすぎです」
あきれたように告げてから、とにかくこっちに来て下さい、と人どおりの少ないほうへと進み、 校舎と校舎の隙間、陽もろくにあたらないような場所で立ち止まるとあらためて問いかけてきた。
「で、オレにいったい何の用っすか」
ひっそりとした空間は、誰も通らず掃除もされていないらしく雑草だけが足元を賑やかしていた。
「オレも練習あるんすから、さっさと言ってください」
阿部の態度には愛想のかけらもない。
それどころか眉間にしわまで寄せ不機嫌そうな表情で促されて、榛名はむっとする。
なんだよ。この前と全然態度が違うじゃねえか。
なによりこのオレがここまできてやったというのに、あんな弱弱しいピッチャーと 仲良さげにしてたことが、ますますむかつく。
「お前、オレよりあんなのがよかったのか」
「は?」
「ま、あのなよなよしたピッチャーなら、球捕り損ねても身体に傷はつかねえよなあ」
バカにしたように告げると、阿部の大きな瞳に怒気が帯びた。
「わざわざ、そんなこと言いに来たんすか。人んちのピッチャーをバカにしないでください。
どうせあんたのことだから見下してんだろうけど、あいつはあんたとは全然違う。いい投手ですよ」
「言いなりになるとこがか?お前、リードどおりに投げろってやたらうるさかったもんな」
「あんたには要求どおり投げられるだけのコントロールもなかったじゃないですか」
「なんだよそれ、ケンカ売ってんのか」
「別に。ほんとのこと言っただけです」
阿部はシニア時代と変わらず、視線をそらさずにかみついてくる。
「ふーん。お前、あんな弱っちそーなヤツとバッテリー組んで、ほんとに楽しいのかよ」
「少なくともあんたと組むよりは楽しいです」
平然と断言した阿部のその言葉に、榛名は頭に血が沸き上がるのを感じたが、 なぜかとっさに出てきた言葉は冷たくさめていた。
「あっそ。オレだって、試合で負けるたんびにピーピー泣くような捕手はお断りだけどよ」
はき捨てるようにそう告げると、阿部は榛名を見据えていた瞳に憎悪のような激しい怒気を 一瞬たぎらせたが、なぜか言葉を失ったように黙りこんでしまう。
しかもたちまちその瞳からは焦点が失われていき、はなはだ頼りない色を浮かべたかと思うと、 ついには顔をふせてしまった。
そんなガラス球のような阿部の瞳の変化に心奪われ、怒りが沸点に達していた榛名も、 瞬時に憤りが解けて無くなってしまう。
そもそも短気ではあるが、その怒りが持続せず醒めるも早いのだ。
んだよ。オレ、そんなきついこと言ってねえぞ。
言葉の悪さならお互い様だ。
タカヤだって、オレよりも今のピッチャーと組むほうが 楽しいだなんて、ずいぶんな言葉じゃねえか。
あえて再び、さきほどの阿部の言葉に怒りをぶつけてみようとしても、うつむいてしまった姿を 目の当たりにすれば、もう腹立ちなど消えうせ、その代わり苦い気持ちでいっぱいになる。
「ターカーヤ?」
あえてとびきり軽く名前を読んで、顔をのぞきこもうとしたら、 さらに頭を下におろされてしまった。表情はうかがえないが、 耐えるようにきつく歯を食いしばっている口元だけが見えてよけいに痛々しい。
「・・・んだよ、タカヤ。泣いてんのかよ」
「泣いてません!」
即答するものの、その声は、小さく震えていてどう考えても泣き声だ。
ったく。なんでこいつはすぐ泣くんだよ。
シニア時代もケンカして怒りすぎては、しょっちゅう涙目になって、それを必死で隠していた。 短気で怒りっぽいくせに涙もろくて、そのくせ泣いてるのバレバレなのに隠したりして。
でもそれはたんなる泣き虫の強がりというわけではなくて、涙をうかべることがあっても 阿部は決して逃げることなく、いつでも自分に真正面から向ってきていた。野球でも、なんでも。

・・・ああ、そうだ。
やっぱこーいうとこおもしろくてかわいいよな、こいつ。
なんて無意識に思った自分にはたと気がついてしまって、 そうか、そうだよな。やっぱりタカヤはかわいーよな。
と今さらのように榛名は再認識する。
この前会ったとき、好きだと言われびっくりしたものの、決して気持ち悪い気分になることはなく、 むしろ自分は結構浮かれていたのだ。その後、確信がもてなくてイライラするほどに。
ってことは、オレたち両思いってことだよな。
単純に結論づけると、ここ数日のモヤモヤが消えうせすっきりとして、 やはりタカヤに会いにきて正解だったのだと納得する。
あっさりと問題が氷解し上機嫌になった榛名は、しかし、なおも顔をあげることなくうつむいたままで、 肩を小さく震わせている阿部の姿をまじまじと見下ろす。
せっかくこっちはいい気分だってのに、まったくこいつは・・。
自分勝手きわまりない不平を心の中でもらしながらも、ふと表情を緩めた。
ああ、もうしょうがねえな。
「タカヤ」
名だけ呼んで、目の前の身体を強引に抱き寄せると、意外にもあっけなくぽすんと胸におさまった。
そのことに気分をよくしながら、顔が見たくて、左手で顎を掴んで無理やり持ち上げる。
突然の行動に驚いたのか、なされるがままに顔をあげた阿部の大きな瞳はさらに見開かれ、 榛名を仰視している。瞳の表面にはうっすらと涙が膜をはって黒目を潤ませていて、 それがたまらなく扇情的で。
「ったく、いつまでも泣いてんじゃねーよ」
乱暴な口調とは裏腹に、榛名はそのまま顔を寄せてとびきり優しく唇を重ねた。




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(2007/7/11)