これが恋かと問われれば5
近頃の榛名はとにかく調子がいい。
そしてとりわけ機嫌のよい日には、練習が終えるなりさっさと帰り支度をして、
皆につきあうこともなく、あっという間に帰っていく。
「もしかしてアイツ彼女でもできたんじゃねーの?」
「なあ、秋丸。お前なら知ってんだろ?」
練習前の部室で、勘のいい先輩達から尋ねられた秋丸は、
「さあ」と笑ってごまかした。
もとより友人のプライバシーを許可なく他人に話すことを
よしとはしない性質であるということもあるが、
・・・言えないよな。まさか、彼女じゃなくて彼氏です、とは。
榛名がシニア時代に組んでいたタカヤとおつきあいしていると聞いたときは
秋丸だって驚いたのだ。こんなこと、絶対他人に言えるわけがない。
「ダメダメ、秋丸は口が堅いからな〜」
「でも、できたかどうだかくらいは言えんだろー」
先輩達の追求を温和な笑顔でごまかしていると、
「ちわーっす」
噂の本人が慌しく部室に駆け込んできた。
「どうしたんすか?」
部室に揃った面々から好奇心いっぱいの視線をむけられた榛名が
不思議そうな顔をする。ええい、この際だと勇気ある先輩が直球を投げた。
「榛名。お前、彼女でもできたんじゃねーのか?」
一瞬きょとんとした表情になった榛名は、すぐさま嬉しそうに満面の笑みをうかべて答えた。
「あ、わかります?」
興味津津に聞き耳をたてていたメンバー達が、榛名の得意そうな返事に
チクショーやっぱりそうなのか、一体どんな娘なんだ、と矢つぎばやに尋ねると
「すげー生意気だけど、めちゃくちゃかわいい奴なんすよ」
榛名がどうどうと惚気たものだから、そんな可愛い彼女なら紹介しろよと
部室の中は大騒ぎとなった。
「ちょっとだけなら、いいっすよ」
たまたまその日タカヤと会うことになっていたらしい榛名が快諾するのを見て、
一連の流れを見ていた秋丸は頭を抱えたくなる。
さすが榛名といった大物ぶりだが、ふつう男同士でつきあってるなんてこと、
隠すべきなんじゃないだろうか。
そりゃあ鋼の神経の榛名は気にもならないんだろうけど、普通の神経の持ち主であれば
どう考えたって嫌がるはずだ。
ああ、ごめんね、タカヤくん・・・。
ろくに会ったこともないタカヤが今夜みまわれるであろう悲劇を思って、
友人のかわりに心の中で謝った。タカヤに深い同情をおぼえつつ、
少しでもこの暴れ馬を押さえつけるために秋丸は自分も一緒についていくことを決めた。
それに、実のところ秋丸もタカヤには会ってみたいと考えていたのだ。
それは単なる好奇心というわけではなく、榛名からタカヤとの話を聞いてから
ずっとわずかなひっかかりを感じていたからだった。
秋丸がタカヤのことを聞いたのは、榛名が調子を崩しに崩していた時期。
いまだかつてない大暴投のあと、榛名はロードワークと称して突然飛び出し、
そのまま戻ってこなくて、ようやく帰って来たのは部活終了間際で。
主将にたっぷり叱られている榛名を置き去りにして、その日は先に帰ってしまったのだが、
翌日、その顔を見てあっけにとられた。
頬にくっきりと刻まれた、ひっかかれたような赤い跡。
なまじ顔立ちが整っている榛名だけに、なおのこと目立つ。
しかもそれは猫にひっかかれた、というような可愛いものではなく、
あきらかに誰かにやられたとしか見えないのだが、
当の榛名はさして気にもとめていないようで、おまけに昨日までの不調は
どこへやらといったさっぱりした表情になっている。
まさかどこかで喧嘩して憂さ晴らし、なんてこと、自分の身体を大切にしている
この友人がするわけもないし。考えてもわからないから、声をかけた。
「榛名、どうしたん、それ」
「ああ、これなー。タカヤにやられた」
「タカヤ?ってあのシニアのときの?」
そういえば昨日、飛び出す前にタカヤがどうしたとか言っていたっけ。
「お前、まさか昨日、練習ぬけ出して、タカヤに会いに行ってたの?」
「そ。わざわざこのオレ様が会いに行ってやったっつーのによ」
あからさまに不満そうに顔をしかめる。
「あいつがさー、この前オレのこといきなり好きだっつーから
オレもそうかもしんねーなあって気がついてよ。
だから、キスしてやったのに、でもってタカヤだって最初は気持ちよさそうに
おとなしくしてたのに、途中でいきなり何すんだって怒って人の顔叩きやがって。
あー、もーあいつ、ほんとわけわかんねえよ」
「・・・・」
ストレスたまるよなーと榛名が伸びをする。
・・・・・。
傍若無人な榛名と長くつきあっているおかげで、たいていのことには
驚かなくなっていた秋丸だったが、さすがにこの発言には度肝を抜かれしまった。
・・・えーと。
好きって言われたからっていきなりキスするもんなのかな。
だいたい、オレはそんな赤裸々な交際内容なんて知りたくもないんだけど。
それに、そもそも・・。
「・・・榛名。あの、タカヤってまさか、もしかして女の子だったっけ」
「はあ?何言ってんだお前。シニアでオレの球とってたんだぜ。
女のわけねーだろ。ばーか」
「だよね」
そうだった。だいたい自分もこの前タカヤの姿を見ている。
どう見たってあれは男だった。
・・・まあ、榛名のことだ。
性別なんて、そういう細かいことにはこだわらないんだろう・・たぶん。
とはいえ、これを細かいことと片付けていいんだろうかと、
多少納得できないものを感じつつも、友人の新たなる一面を
秋丸は広い心で許容することにした。
こうでなければ、この男の友人なんてやっていけない。
それにしても、榛名がタカヤを気に入っていることは知っていたけれど、
まさかそんなふうに気に入っていたとは思わなかった。
榛名のタカヤ話は中学の頃からしょっちゅう聞かされていて、
捕手としての自分とタカヤを比較して、お前もタカヤくらいの根性見せろよ、
とシニアで組んでる年下の捕手を、それはいたく自慢していたものだ。
そのタカヤを春大会で見つけ出して、榛名がいつになく気にかけていたのは
知ってたけれど、まさか一足飛びにそんな関係にまでなっていようとは。
・・・でも。
さっき榛名はタカヤが告白してきたようにいったけれど、
その言葉に、なぜか秋丸はほんの少しだけ、言葉に出来ない小さな刺のような
ひっかかりを感じた。もちろん自分は直接タカヤを知っているわけでもないのだから、
何をどうこう言える立場でもないのだが。なんとなくおさまりの悪いものを感じつつも、
調子を取り戻したらしい友人の姿を見て、とりあえずそのときは安堵したのだった。
練習を終えて、好奇心一杯のメンバー達をひきつれた榛名が、待ち合わせの場所という
コンビニに到着すると、ガラス越しに見覚えのあるタカヤの姿が見えた。
地顔なのか気難しそうな表情でスポーツ雑誌を立読みしていたタカヤは、
榛名とその背後に群がる武蔵野メンバーたちに気がついて、たちまち訝しげな顔になる。
それでもちょいちょい、と榛名に手で招かれると、雑誌を置いて店の外に出てきた。
戸惑った表情をうかべながらも、タカヤはちわっすと挨拶をする。
「これがオレの彼女っす!」
そんなタカヤを指し示して榛名がたからかに叫ぶと、紹介されたタカヤは
その言葉を理解しようとするようにちょっとだけ動きを止めた。
そして言葉の意味を消化しきると、一瞬だけ頬が朱に染まったが、すぐさま色を失うと
額に青筋をうかべて凄まじい迫力で榛名を怒鳴りつけた。
「誰が彼女だ。ふざけんなっ!」
「んだよ、恥ずかしがるなよー、タカヤ」
「あんたは、少し恥ってもんを知ってください!」
榛名の可愛い彼女を見に来たはずが、顔こそ整っているもののただの男を紹介され、
その上ただならぬ険悪な空気での罵り合いがはじまってしまって、
ついてきたメンバーたちはあっけにとられてる。
「あの子は西浦の捕手で、榛名とシニアのとき組んでた、ただの後輩ですよ」
ただの後輩、を強調しながら秋丸がにこやかに説明すると
「なんだ、後輩に会ってただけかよ〜」
案の定、榛名の彼女宣言をでまかせととらえたメンバー達はとたんに興味を失った。
・・・まあ、ふつう男同士でつきあってるなんてこと、なかなか信じられないもんだよね。
だまされたと文句をこぼすメンバー達を見て、秋丸は安堵する。
しかし、その言葉を聞きつけた榛名が振り返って反論した。
「後輩っすけど、彼女なんすよ・・って!なにすんだよ。秋丸!」
せっかく自分が隠そうとしてやってるのに、尚もタカヤを彼女と主張しようとする
榛名の背中にエルボーをくらわせた。
まったくこの男だけは・・、こめかみを押さえつつ秋丸は榛名にそっと耳打ちする。
「彼女だなんて知れわたって、タカヤがみんなから興味もたれても知らないよ」
「・・・」
上手く独占欲を刺激できたのか、急に榛名が黙り込んで静かになると、
やはりかつがれたのだと思い込んだメンバー達が、だましやがったなこのやろう、
なんかおごれ、と口々に叫び、あっという間にその姿をとりかこんでしまった。
自業自得だよ、と呆れながらその様子を眺めていると、一人になり所在なさげなタカヤが、
こちらに感謝を伝えるようにちいさい会釈をよこしてきた。
「あの、秋丸さん、ですよね?はじめまして」
榛名から聞いているのか、タカヤはどうやら自分のことを知っていたらしい。
「秋丸さん、元希さんをあしらうの上手いっすね」
「まあねえ。榛名とは長いつきあいだからね」
「・・・あの、もしかして。秋丸さんも、元希さんからオレのこと・・」
先ほどの秋丸の様子から察したのか、タカヤが躊躇いながら訊いてくる。
「ああ、その、ごめんね。ああいう奴だから。つきあうのも大変だろ」
「・・いえ、別に。・・・オレたち、ほんと、そんなんじゃないですから」
硬い表情で小さく消え入りそうな声で告げると、ついと顔を動かした。
その視線の先には、いまだとり囲まれながらも笑いながら言い訳している榛名がいる。
「・・・・仲、いいんですね」
「え、ああ、でも西浦もこんなもんでしょ。1年生だけなんだよね。羨ましいなあ。
君らのほうがもっと仲いいんじゃないの?」
「まあ、そうっすね・・・」
そう言いながらも、榛名たちを見るタカヤの目は真剣で痛々しいくらいだ。
榛名から、人のいうことに従えないから先輩のいない新設校を選んだように言われていたけれど、
とてもそんな子には見えない。直接言葉をかわしたタカヤは言葉使いも態度も丁寧だし、
ぱっと見た感じは、むしろ後輩として可愛がられそうな子じゃないかと思う。
・・・でもまあ、あの榛名を最低よばわりできるくらいだし、
さっきも怒鳴りつけていたから、かなり気は強いことは確かなんだろうけど。
それだって榛名の場合は、自業自得な面が多々あるから
タカヤにばかり否があるわけじゃないはずだ。だいたい、気が強いしっかりした子じゃなければ、中学の頃、
あの榛名の球を捕り続けることもできなかっただろうし・・・。
「あ、そうだ」
不意に声をあげた秋丸に、タカヤが不思議そうに視線を戻す。
「オレ、タカヤくんに前々から言いたいことがあって」
「はい?」
「あのさ、シニアのとき榛名とずっと組んでくれてたんだよね」
「・・・・ええ」
あからさまに表情が暗く沈んでしまったタカヤに秋丸は戸惑う。
榛名の球を捕っててくれてありがとう、って言いたかったんだけど
まるで言っちゃいけないことを口にだしてしまったような雰囲気になってしまった。
「えーと。あの、そんな悪いことじゃなくてね、そのことでオレ、君に・・」
「秋丸。てめえ、勝手にタカヤ口説いてんじゃねえよ!」
そのときメンバー達の包囲を突破し、突如乱入してきた榛名が
タカヤの腕を掴んでひっぱった。
ああ、せっかくシニア時代に迷惑かけたこと謝って、ありがとうって言いたかったのに・・。
突然のことでタカヤの体がぐらりと傾ぐのを両腕で支えた榛名は、
さっさとこの場を立ち去りたいのか、そのままタカヤを抱きかかえるようにして歩き出す。
「おら、タカヤ行くぞ」
「いってーな。何するんすか」
「いいから、こいよ」
「ひっぱんなよ!」
「お前がついて来ねーからだろ」
「行くから離せよっ」
見るに見かねて秋丸は口をはさむ。
「おい、榛名。あんまり乱暴にしちゃだめだろ。タカヤくん嫌がってるよ」
「うっせーな。ほっとけよ」
そういいながらも榛名が腕の力を緩めたのか、タカヤがするりと腕の輪から抜ける。
「こら、タカヤ。逃げんなよ!」
「逃げてません。ついていけばいいんでしょ」
「わかりゃいーんだよ。じゃーな。秋丸。行くぞ、タカヤ」
榛名におとなしくついて立ち去る際に、あきらめきったような表情をしたタカヤは、
ちらりと秋丸を一瞥して目礼したから、軽く手をふってかえした。
・・大丈夫、なのかな。
夜の薄暗い道に消えていく二人の姿を見送って秋丸はため息をついた。
今回はタカヤにとって不本意な出会い方だったとはいえ、
榛名と一緒にいる姿は楽しそう、というよりも苦しげにしか見えなかった。
ちゃんと言いたいことは言っているようでもあったけど、
ときおり投げやりな態度を見せていたのも気にかかる。
それに自分がシニアの話を持ち出したときのあの沈鬱な表情・・。
・・ああ、そうか。
その顔を思い出して、榛名からタカヤに告白されたと聞いたときに抱いた違和感の正体を
ようやく掴んだような気がした。
タカヤが榛名をほんとに好きだというのなら、
どうして彼は榛名のいる武蔵野に来なかったんだろう?
たんに榛名を好きだと自覚したのが最近だっただけなのかもしれないけど、
それでもそんな感情を抜きにしたって中学時代、ずっと榛名の球を
捕っていた人間なら、榛名を追って武蔵野にやってきそうなものなのに。
榛名ほどの投手がそうそういないことは、ある程度の捕手の経験があれば
誰にだってわかることだ。
投手としての榛名のすごさを知っていて、バッテリーにまでなってて、
それなのに、どんな投手がくるのかもわからない公立の新設野球部に身を投じたタカヤ。
同じ捕手の立場からして、それはかなり大胆な博打としか思えない。
・・・まるで、榛名以外の新しい投手に出会うことに賭けてたみたいだ。
そんなこと、あの榛名が考えるわけもないだろうけど。
二人の詳しい事情を知らない自分が関わることではないが、
どうも榛名が思っているような楽しいおつきあいではないような気がする。
このまま何事もなければいいんだけど・・・。
別れ際のあきらめきったような表情のタカヤを思い出して、秋丸はそっと嘆息した。