これが恋かと問われれば6


「・・・・・いいかげん、腕、離して下さい」
自分の腕を強く掴んで話さない榛名に、静かな声で伝える。人気のない夜の道ではひそめた声すら誰かの耳に届いてしまいそうで落ち着かない。
「お前が怒るのやめたら、離してやるよ」
「いきなりあんな集団つれてきて、彼女よばわりされたら誰だって怒りますよ」
「なんでだよ。別に怒るほどのことじゃねーだろ」
こいつのこういう神経は永遠に理解できないと、阿部は苛立つ。
待ち合わせ場所に、無断でよりにもよって武蔵野のメンバーを連れてきたうえに、自分を彼女と紹介したときは、真剣にぶっ殺してやろうかと思った。秋丸がいて、フォローしてくれたのが不幸中の幸いだ。
「オレはいやだったんです」
「ふーん。そーか。そりゃ悪かった」
誠意のかけらもない言葉をかけながら、榛名の顔が近づいてきて、あ、やばい、と思ったときにはもう、優しく唇を奪われていた。
そっと唇をなぞるように舌でたどられて、顔が離れてから目を開けると満足げな笑顔が見えた。 キスでごまかすなんて、人を何だと思ってんだと突き飛ばしてやりたいのに、そんな榛名にどんな表情をかえしてよいのかわからない阿部は、いつものように固く唇を結んでうつむいた。
いったいなんでこの人は、こんなことするんだろう。

夜の公園のベンチに座って、榛名と二人きり。
榛名が嵐のように学校にやってきてから、こうしてずるずると定期的に呼び出されては会うという日々が続いていた。
お互い練習が遅いから、待ち合わせはいつもコンビニ。約束の日がくるたびに、指定された待ち合わせの場所で律儀に榛名を待つ自分はなんて間抜けなんだろうと我ながら呆れる。
でも従わなければ、榛名のことだから、また学校にまでやってくるかもしれない。
もう二度とあんな思いををするのはまっぴらだし、何よりこれ以上、三橋を刺激されたら困るのだ。
あの榛名が現れた悪夢の日から数日間の、阿部の不調ぶりといったら自分でも嫌になるくらいで。おまけに、そんな自分の姿に何を勘違いしたものか三橋がいつもにもまして挙動不審になり、そんな姿にまた苛立たされた。
見かねた栄口が聞きだしたところによると、どうやら三橋は榛名が阿部を武蔵野に連れて行くのではないかと心配しているらしい。
そんなことは絶対ありえない、と上手に説得してくれたらしいけれど、今でもときどき「阿部君どこにも行かないよね」とおどおどと聞いてくる。
てめーんとこみたいな金持ちでもなけりゃ、そうそう転校なんてできるかっつーの。
三橋が祖父の学校である三星に転校するのとはわけがちがう。ふつうの高校生が、そうそう自分の都合で転校なんてできるわけがないのに、そこらへんの感覚がズレているのは、さすが三橋というべきなのか。
呆れながらも、それでも阿部はそんな三橋はいい奴なのだとも思う。
それだけ心配をするのは、つまり捕手としての自分を必要としてくれているからで。自分をそれほど信頼してくれていることについては単純に嬉しい。そんな執着は榛名と組んでいたときには決して与えられなかったものだったから。
榛名にとっての自分はまともな捕手ですらなく、ただの壁だっただけのはずなのに、どうして、今さら自分を呼び出してこうも会いたがるのだろう。
三橋もたいがいわかりにくい奴だが、榛名のわかりにくさはそれ以上だ。
この前、手を握って、何かがわかったような気がして、やはり凄い投手だとは認められるようになったけど、またなんだかわからなくなってきた。

何がわからないって、久しぶりに会ってシニア時代のキャッチャーの存在を思い出したから、気まぐれに呼び出しているだけというならまだしも、どうして会うたびに当然のようにキスをしてくるのかがわからない。
学校に突然やってきたあの最初にキスをされたとき、「好きだといったから」と言われた。
たしかに手を握ったあのときに、そんなことを言ったけれど、それで自分は今でも勝手に扱える存在だと見なされたんだろうか。事実、会うたびにキスされても、今では抗うこともなくそのまま受け入れているのだからなんの言い訳もできないが。
最初のキスの後で榛名に会ったときは、意識しないようにすればするほど、榛名の唇が気になって顔を見ることもできないくらい緊張したけれど、今ではそんなこともなくなった。
男同士でいったい何やってるんだと、呆れて反発を覚えても、榛名から与えられるものを拒絶することのできない自分がいる。男にキスをされているという事実よりも、そんな自分に愕然とする。

榛名から与えられるキスは驚くくらい優しくて心地よかった。
キスだけじゃなくて、一緒に居るときの榛名は中学のときに比べるとはるかに優しい。
強引で自分勝手なのはあいかわらずだけど、以前のような見られただけで身が竦むような鋭い目をすることはなくなった。高校生になって少しは大人になったということなのか。
いや、やっぱり榛名は変わった、と思う。さっきの武蔵野のメンバー達とじゃれあう姿。あんなに楽しそうにチームメイトと騒ぐ榛名の姿なんて初めて見た。
もちろん、シニアの時だってそれなりに溶け込んではいたけれど、どこか一線をひくような醒めた空気をもっていた。
この人が変わったのは武蔵野に行ったからなんだろうか。
武蔵野でシニアのときにないものを見つけ出したんだろうか。
試合を見る限り、正捕手ですら榛名の全力投球は捕れなかったみたいだけど、あの秋丸さんという人ならどうなんだろう。
見た目どおり穏やかそうな人で、中学からずっと元希さんを知っているだけあって、扱いもずいぶんと手慣れていた。 今は控えの捕手だけど、きっとああいう温和な人と一緒に組めば、元希さんも気分よく投げられるんだろうな。
シニアのときの自分たちはいつもケンカばかりだったけれど。
それだって今にして思えば、自分が一方的に噛み付いていただけで、榛名にはてんで相手にされていなかったのだ。
結局、どれだけ頑張っても自分は認めてもらえなかった。
世の中にはそういうことだってある、と言い聞かせてみてもどうしても苦しくなる。
こんな思いをするくらいなら、もう榛名には会いたくないと思うのに、それでも、もはや自分から離れることもできないのだ。なんだかんだいってこの人の顔を見れば、自分はなんだって許してしまうことを改めて思い知らされる。
シニアのときだってそうだった。
球を受けるのは怖かったし、気まぐれな言動に振り回されるのに疲れさせられても、一緒にいることができるのは嬉しくて、だけどそんな思いを抱いているのは自分だけだったと憎みたくなるほど思い知らされたというのに。
自分にできた抵抗は別の高校にすすんで、新しい投手を見つけ出したことだけで、会えば結局このざまだ。まったくどうしようもない。

話をろくに聞きもしないで、適当にあいづちだけをうってるだけの自分が思わずこぼした小さなため息をなんと受け取ったのか、榛名がそろそろ帰るかと告げる。
その言葉に我にかえると、夜の空気がいっそう静かに落ちていて、長い時間ぼんやりしていたのだと気がついた。
別れ際、お決まりのように榛名が額にキスをおとしてくる。

呼び出されて、言われるがままにしたがって、わからないままにキスされて。
こんな自分はどうしようもなく愚かだけれど、自分を連れまわしている榛名だって同じだ。
なあ、元希さん、ほんとにあんた、一体何考えてこんなことしてんだよ。
平和そうに笑ってておめでたいよな。
オレがあんたのこと誰よりも憎んでたってこと知らないんだろ。
あんたは、オレが何を思ってるかなんてこと知らないし、興味すらないんだから。
それでも、そんなあんたを拒めない、自分はどうにも救いようがない。
あんたに望まれれば、逆らえない。 中学のときと何一つ変わってない自分に気づかされる。
ただ、中学のときと違うのは、そのうちあんたはオレのことなんてあっさりと置いて行くってことを知っていること。 手に入れたと思っていたものが、思い込みのまやかしだったという虚無を今の自分は知っている。
この人の言葉も、手も、唇も、体温も、すぐになくなる。
そのことだけはちゃんと理解しておかなければならない。
額に優しいキスを施す榛名と、従順に受けいれる自分を心の中で嘲笑った。




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(2007/11/18)