その日登板のなかった榛名はゆっくりとした夜を過していた。
見るともなくつけっぱなしにしているテレビからは
いつのまにかスポーツニュースが流れていて、
オールスターゲームで監督推薦が決定した選手の名前が報じられている。
交流戦が行われるようになって、
セ・パがぶつかる醍醐味はやや失われてしまったとはいえ、
人気選手が揃う華やかなお祭り騒ぎは今でもそれなりに人気がある。
とうの榛名は、先発投手部門でファン投票堂々一位を獲得して、
はやばやと出場が決まっていた。
選手の立場からしても
ペナントレースに関係ない試合は息抜きのようなもの。
そりゃあ、セ・パの沽券だとかMVPにこだわればそれなりの重圧はあるのだろうが、
そんなものに興味を感じない榛名からすれば、登板回数がせいぜい長くて3回の試合だと
考えれば気楽なかぎりだ。
榛名が出場するのは初日第一戦のナゴヤドームで、
ソファに坐ってぼんやりとニュースを見ながら、
タカヤ、見に来っかな、
でもわざわざ名古屋までは来そうにねえな。
なんてことを考えていたら、ちょうど阿部がお風呂からあがってきた。
ごしごしと雑にタオルで髪を乾かしながらキッチンに進んで、
冷蔵庫に手をのばしかけていた阿部は、
ふとテレビに目をやって思い出したように、あ、と声をあげる。
「元希さん」
「んー?」
「オールスターのチケットって今から取れますか?」
「へ?タカヤ、観にくるの?」
思わず榛名はソファから身をのりだす。
「オレが出る試合、名古屋だぞ」
「知ってますよ。そんなこと」
「んじゃお前、名古屋まで来るのか?」
「そういうことになりますね」
なんでもないことのように答えて、
阿部は冷蔵庫から取り出したペットボトルに口をつける。
「よし、まかせとけ。バックネット裏を取ってやる!」
珍しく以心伝心な阿部の願いの言葉に、
榛名がこの上なくご機嫌な笑顔を浮かべて請け負うと、
「いいっすよ。そんな特等席じゃなくても」
阿部がそっけない返事をかえしてきた。
「遠慮すんな。オレを誰だと思ってんだよ、任せとけ」
「でも、10枚ですよ」
「じゅうまい?」
言葉が理解できないとでもいうようにそのまま繰り返すと、
丁寧に阿部が重ねて告げた。
「10枚です」
「なんでそんなにいんだよ」
榛名はたちまち不機嫌きわまりない低い声になった。
いや、聞くまでもなく、理由はなんとなくわかってるのだが。
「西浦んときのメンバーと行くんすよ」
「またかよ。どんだけ仲いいんだお前ら」
予想どおりの阿部の言葉に、舌うちする。
「元希さんだって、武蔵野の人と会ってるじゃないですか」
「お前らみたいに、しょっちゅうじゃねえよ」
「俺らだって、そんな言うほど会ってません。
それに全員で集まるのは卒業して以来っすよ」
「そーかよ」
低い声でそれだけ言うと、とたんに興味をなくしたように、
榛名はソファに寝転んでしまう。
ふてくされたその態度に
阿部はため息をつきながら尋ねた。
「で、チケット取ってもらえますか?」
「イヤだ」
背をむけたままで、即答する。
「タカヤひとりじゃねえんなら、取りたくねー」
「そんな意地悪言わないでくださいよ」
「意地悪なのはお前だろ」
「・・・んじゃ、いいです」
阿部はちょっと間をおくと、ため息混じりに呟いた。
「田島に頼みますから」
今年卒業してそのままプロ入りした田島は、新人ならではの注目と
それに見合うだけの実力を存分に披露し、おまけに生来の人好きする性質も加わって、
三塁手のファン選抜が決まっている。
田島は榛名と同じリーグだから、田島がチケットを準備しても
阿部が敵側の応援スタンドに行くことはないだろう。
とはいえ、阿部が自分の投げる試合を観に来るというのに、
他人が手配した席に坐っているのは業腹だ。
「・・・わかった。10枚だな」
榛名がこの上なく苦々しげな表情を浮かべながら唸る。
「お前、ほんっと性格わりいよな」
「すみません」
阿部はさすがに自分でも自覚していたので、素直に詫びた。
しかし、一応これでも自分なりに榛名に気をつかったつもりだったのだ。
自分が西浦メンバーと行動するのをなぜか榛名は嫌がるから、
すんなりチケットを準備してくれないことは予想の範疇で。
いっそ最初から田島にチケットを依頼してもよかったのだが、
榛名も出場する試合で、田島にチケットを用意してもらったのを知れば、
機嫌を損ねそうな気がして、駄目もとで榛名に頼むことにしたのに。
結局、榛名を怒らせてしまったことには変わりなく、
いったいどうしたらよかったんだろう、と
阿部は心の中で嘆息する。
「すみません、元希さん。お礼になんかしますから」
とりあえず、くり返し殊勝な態度で謝ると、
「お礼?」
阿部の言葉に敏感に反応して、向き直った榛名が綺麗につりあがった目を輝かせる。
いたずらを思いついた子どものようなその表情に、阿部は一抹の不安を抱いた。
「・・・できるかぎりの範囲ですけど」
小さく言い添える言葉が終らないうちに、するすると近づいてきた榛名は、
強い瞳でじっと顔を覗き込みながら、まだ乾ききっていない髪を摘み上げて、
そのままおろした左手で阿部の腕の筋をそっとなぞる。
途中で頬をかすめた指先がヘンにくすぐったかったけれど、
風呂あがりの熱さが残る体に触れる榛名の手は冷たくて、不思議と心地よかった。
「じゃあ、タカヤの体で払って」
この上なく楽しそうな表情を浮かべて、榛名の端正な顔が近づいてくる。
この人、無駄に顔は綺麗なんだよな、と間近にせまる顔を見て、
今さらのように感心しつつ、それにしても体?と阿部は考える。
「肉体労働っすか?まさか、あのくそ重いトレーニングマシンの模様替えとか?
さすがにあれはオレ一人じゃ動かせないっすよ」
榛名の部屋に乱雑に置かれている、プロ仕様のトレーニングマシンの数々を
思い浮かべながら真剣に答えると、
はたと榛名の動きが止まり、
それから考え込むように額に手をあてた。
「元希さん、どうしたんですか?」
「・・・・いや、なんでもねえ」
近づいてきたときと同じく、猫のようにするりと自分から離れると、
再びソファにもたれかかってしまった榛名を阿部は不思議そうに見守った。
やっぱり元希さんの行動はわけわかんねえ。
嬉しそうな顔で必要以上に近づいてくると思ったら、きゅうに離れて不機嫌になる。
そのたびになぜか動揺させられてしまう自分を認めたくなくて、
投手ってやっぱり変だ。
阿部は乱暴にひとくくりにまとめ、混乱しそうな思考を断ち切って、
なぜか緊張していた体の力が早く抜けるようにと、
榛名に気づかれないようにそっと息を吐いた。
どうもなんつーかこう、萎えるんだよな。
ソファにもたれた榛名は、阿部の様子に気づかずこちらもため息をつく。
やっぱタカヤがこの部屋に住みはじめたとき、無理やりやっとけばよかった。
何事も最初が肝心なんだよな、と物騒な反省をしつつ、
いっそ場所を変えてみりゃいいかもしれない、なんてひらめいた。
「よし、タカヤ。お前、名古屋で俺のとこ泊まれ」
「は?」
突然機嫌よく命じてくる榛名の変化に阿部はついていけない。
「だーから、名古屋のオールスターの試合のあとは、
俺がいるホテルに泊まれ」
「ええ?元希さんが泊まるホテルって高いんじゃないんですか?
みんなふつうの学生だし、そんなとこ泊まる金ないっすよ」
「バカか!だれが皆して来いっつったよ。お前が俺の部屋で寝りゃいいんだよ」
どこまでもとぼけたことを言う阿部に苛立ちながら言い放つ。
「なんでわざわざ名古屋に行ってまで、
元希さんと一緒に寝なくちゃなんないんすか。
だいたい試合終った後は、みんなで飯食いに行くし、
それに元希さんだって、どうせ夜は飲み会があるんじゃないですか」
「うるせえ。いーんだよ。俺が泊まれっつったら泊まれ。
タカヤ、チケットのお礼になんでもしてくれるんだろ」
「なんでもとまでは言ってませんけど・・・わかりましたよ。
まあ一緒に泊まるくらいでいいんなら」
阿部は納得できないながらも、チケットのことを持ち出されると
強く抵抗できなくて、おとなしく頷いた。
その姿に榛名は満足げに目をほそめる。
「よし、次の日は俺空いてっから、うなぎごはん食べに行こうな」
「・・うなぎごはん?」
「おう。前に名古屋で食わせてもらったんだ。あれ美味かったから
タカヤにも食わせてやるよ」
「はあ、ありがとうございます」
楽しそうに名古屋での計画を語る榛名に、訝しげな表情をうかべたままで、
とりあえず阿部はお礼を言っておいた。
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