そんなこんなで騒いでいるうちに、試合は榛名と田島の活躍もあって、
二人が所属するリーグの勝利に終わり、インタビューやMVPの発表で
まだ熱気冷めやらぬ球場を後にした一同は、手ごろな居酒屋に腰をおちつけた。
たらふく食べて飲んで喋って、あっという間に時間が過ぎて、
ラストオーダーを確認されたのをきっかけに店を出ることにする。
「じゃあ俺はここで。またな」
終電で巣山の部屋に向うという面々に別れを告げ、
一人別行動になる阿部はタクシーをつかまえた。
三橋がメソメソ泣いているのは、まあいつものこととして、
泉に、いいかげん腹くくれと意味不明の忠告をされ、
花井たちからは、がんばれよ、とか、何があっても榛名さんを許してあげろ、
と励ましのような言葉を次々とかけられて、
不可解な面持ちのまま阿部はタクシーに乗り込んだ。
どうもあいつらは、俺と元希さんへの反応が大げさすぎる気がする。
もしかして今も俺が、シニアの時のことひきずってるなんて思われてるんだろうか?
皆に出会った高校入学時、元希さんに対する態度が凄まじかったから、
いまだに気をつかってくれてるんだろうか?
自分が榛名に食べられると思われているだなんて想像だにしない阿部が、
元チームメイトたちの態度に首を傾げているうちに、タクシーがホテルに到着する。
フロントで鍵をもらう際に確認すると、榛名はやっぱりまだ帰っていなかった。
足音を心地よく吸収する廊下を進んで、部屋に入ると自動でほんのり灯りがつく。
とりあえず荷物を片方のベッドに置いて、なれない部屋をざっと見回せば、
室内は広々としているのに、昨夜から名古屋入りしていた榛名のせいで、
なんだか雑然としていた。
シーツとタオル交換が入っているから、かろうてベッドと洗面所は整えられていたが、
テーブルの上や床などには、あちこちに衣類や洗面用具、雑誌などが散乱していて。
たった一日でここまで散らかせるのはいっそ才能だよなと、
妙な感心をしつつ、衣類はクローゼット、洗面用具はまとめて洗面所に、
そうして大雑把に片付けてしまうと、後は一人きりのホテルの部屋で特にすることもない。
とりあえずシャワーを浴びて、一人掛けのゆったりとしたソファに腰をおろすと、
何とは無しに、いつもとは違う窓の外に広がる名古屋の街の光を眺める。
深夜だからか、それともさすが一流ホテルというべきなのか、
目に入る光だけが賑やかで、まったく周囲からは音が聞こえてこないのが奇妙な感じだった。
巣山の部屋に行っていれば、男十人の雑魚寝状態だったから、
そう考えればこうしてゆっくり静かにくつろげるのはラッキーだ。
だけど、知らない土地の慣れない静かな部屋に一人でいると、
まるで閉じこめられたような奇妙な気持ちになってくる。
気分を切り替えようとテレビをつけたら、
ちょうど今日の試合のダイジェスト版が始まったところだった。
球場で見るのと違って、テレビだと先発した榛名の顔がアップで映し出されて、
投球前の鋭い目、真剣な表情がよくわかる。
なんだよ。元希さんが来いっつーから来たのに、
やっぱり帰ってきやしねえ。
テレビの中の榛名を睨みつけて文句を言っていると、
画面が切り替わり、テレビ用の爽やかな笑顔でインタビューに応じる榛名の姿が映り、
ますます虚しくなってしまう。
久しぶりに球場で投げている姿を見たせいか、
同じ部屋で生活していることが信じられないくらい、榛名が遠い人に感じられた。
試合中、しきりに三橋がすごいすごい、と騒いでいたけれど、
きっとあんなふうに、多くの人間があの人の投球に魅せられている。
そして自分もその大勢の中の一人にすぎない。
なんでそんな自分があの人と一緒に住んでいるんだろう。
たくさんの賞賛を当たり前のように浴びているあの人が、
ほめ言葉もろくにかけたことないような俺と一緒にいて、楽しいんだろうか。
・・・こんなことなら皆と一緒に巣山の部屋に行けばよかった。
久しぶりに高校のときの仲間に会って騒いだ反動か、
自分でもナーバスになっているのがわかる。
瞼も少し重いからもう寝てしまおうか、とベッドを見て、
でも、もしかしたらもうすぐ元希さん、帰ってくるかもしんねーし。
開く気配のない扉を一瞥してため息をつくと、
あと少しだけそのまま流れるテレビの映像を眺めることにした。
戻ってきた榛名が音を立てないようにそっと部屋の扉を開けると、
フロアランプが明るく部屋を照らしていた。
ベッドに眠る人影はなくて、見れば阿部はソファで眠ってしまっていた。
不自然な姿勢で寝ているせいか、眉をひそめてなんだか苦しげだ。
あらためて時計を見れば、もう午前4時をまわってる。
そりゃもう寝てて当然な時間なのだが、
テレビがつけっぱなしになっているということは、
もしかしたら自分を待っててくれたのかもしれない。
試合に勝利したこともあって、飲み会はおおいに盛り上がったし、
おまけにテレビの解説に招かれていた球界の重鎮たちまで参加していたから、
さすがの榛名も途中で帰ることはできなかった。
せっかくいつもと違う場所で押し倒すつもりだったのに、
自分が遅くなってしまったのだから、どうしようもない。
それでも気持ちよく投げて勝ったことでご機嫌な榛名は、
酔いもあって、まあいいか、と鷹揚な気分だった。
さすがにもう寝たいのでシャワーは朝にするとして、
ちゃんとはみがきだけすると、ソファで眠っている阿部の体を抱えてベッドに転がした。
ベッドは二つあるけれど当然のように阿部の隣に入り込んで、
寝ている頬にいつものように勝手なお休みのキスをしていたら、
さすがに体を動かされたせいか、常になく阿部の瞼が動いた。
「・・・もと、きさん?」
半分寝ているのか開いた瞳の焦点があっていない。
寝言だろうと思ったが、一応短く返事をすると、
まるで自分の姿を確認するように手を伸ばしてきて、
シャツの端をそっと掴むと安心したようにさらに言葉を続けてきた。
「おかえりなさい」
「ん」
「おつかれさま、でした」
「おう」
覚醒しきっていないせいか、仕草や言葉がどうにも幼い。
いつも眠れば熟睡してしまって、何をしても反応しない阿部が
寝ぼけて喋っている姿がおもしろくて、
じっと見つめていると
また気だるげに口をひらく。
「・・・もとき、さん」
「どうした?」
「・・・今日、もときさん、かっこよかったですよ」
珍しく唇をゆるめて、柔らかな笑顔でそれだけ言うと、
阿部は再び瞳を閉じてしまう。
「え、おい、タカヤ!?」
慌てて揺さぶったが、今度こそ熟睡してしまったようだった。
もう一回起こそうと、さらに激しく揺り動かしてみても、
満足げに安心しきったような幸せな寝顔を浮かべて、
もはや深い眠りにおちてしまっている。
タカヤの笑顔って凶器だよな。
っていうか、こんなん反則だろ。
早く戻ってこれなかった自分をいまさらのように恨みながら、
それでも腕の中の阿部を気分よく抱きしめると、榛名は阿部の額にそっと唇をおとした。
朝方、いつもと違った光を感じつつ、阿部はぼんやり覚醒した。
ああ、そうだ。名古屋にいるんだった。
昨日の記憶をたどって、部屋の雰囲気が異なることを納得する。
体がいつもより窮屈な感じがして、首を動かせば、
いつのまに部屋に帰ってきたのか榛名が、自分に腕をのばして眠っている。
こうして朝の光の中で間近に眠る姿を見れば、
昨日の夜、心細い気分になっていた自分がやけに恥かしくて、
気分をごまかすように隣で眠る大きな体に心の中で悪態をつく。
だいたい、なんでベッドが二つあるのに、わざわざ一緒に寝るんだよ。
どんだけ寂しがりやなんだ、この人は。
遠征中はいったいどうしてるんだろうと阿部は心底不思議に思う。
そうだ。チケットのお礼に今度抱き枕でも買おうかな。
榛名にとっては大きなお世話以外のなにものでもないこと考えながら、
ぼんやりと無防備に寝ている姿を眺める。
ホテルの空調がややきつかったせいか、家で眠るよりも空気が冷えていて、
ところどころ触れ合う体温が心地いいのは認める、けど。
いいかげん自分を抱き枕にするのはやめてほしい。
肩が凝るし、何より情緒不安定な気分にさせられて落ち着かなくなるのが
たまらなくイヤだった。
ずっとこのままでいたいような、逃げ出してしまいたいような、
落ち着かない感情を断ち切るように、榛名の腕から抜け出してベッドからでる。
起こさないようにそっと動いたつもりだったが、
どうやら目を覚ましてしまったらしく、榛名が寝返りをうって唸る。
「くそ、頭いてぇ・・」
「おはようございます。昨日遅かったんすか」
「んー」
「勝ててよかったですね」
「まあな・・あ、そうだ」
ふいに起き上がった榛名は、なにやら嬉しそうな顔を浮かべて近づいてくる。
「なあなあ、タカヤ。昨日の俺、どうだった?」
「・・どうって、まあ、その、よかったんじゃないすか。
三回投げて五奪三振でしたよね」
「そんだけ?」
目をあわせて、心の中までも覗き込むようにじっと見つめてくる。
「そんだけって・・」
そういえば昨日栄口や三橋にほめてあげたらとか言われたが、
いざこうして真正面から見つめられると、とてもじゃないがそんな言葉出はてこない。
「・・・そんだけです、けど」
「あっそ」
榛名はちょっと物足りなさそうな表情をうかべたが、
「まあいいけどよ、もうほめてもらったから」
「は?」
「あんがとな」
満足げに口元を緩めると、ぽんぽんと不思議そうな阿部の頭を軽くたたく。
なんでお礼を言われるのか、わけがわからないが、
なぜだかとてもいたたまれない気分になってしまって、ごまかすようにつけたした。
「そういえば三橋がすごいって感動してましたよ」
「ミハシ?」
きっと榛名は永遠に西浦メンバーの名前を覚える気がないんだろう。
もう何度目かわからない説明をする。
「西浦で俺が組んでたピッチャーです」
「ああ、あいつな。そういやお前、俺がマウンドにいるっていうのに、
あいつとベタベタいちゃついてただろ。あー思い出しちまった。むかつく」
「はあ?何ですかそれ」
三橋と自分はただ隣に坐っていただけだというのに、
何をどう見ればそんなふうに思えるんだろう。
「俺もタカヤとポテトが食べたい」
ふてくされたように榛名が告げる。
どうやらフライドポテトを三橋にあげたところを見たようだ。
どんだけ視力いいんだこの人は、と半ばあきれつつ、たしなめる。
「なに子どもみたいなこと言ってんですか。
それに元希さん、今日はひつまぶしを食べに行くんでしょ」
「なんだそれ?」
「この前元希さんが食べたいって言ってたじゃないですか。
うなぎのごはんですよ。名古屋名物のひつまぶしって言うんです」
「へー。そうなんか。よく知ってんなタカヤ」
感心したように榛名の言葉に、そっけなく言った。
「調べたんです。だって、どうせ元希さん、お店の場所おぼえてないんでしょ」
「そういや、そうだな」
「やっぱり」
いつもと少しだけ違う朝の光の中、二人して笑う、祭りのあと。