ブラザーソウル


弟にとって兄とは複雑な存在だ。
小さい頃は絶対的な指導者であるのに、年を取り成長するにつれ、畏怖と尊敬の対象だった兄が、実は自分と変わりないただの人間であることに気がついてしまう。
それどころか、自分よりも要領が悪くて世話が焼ける場合すらある。だが立場が逆転しようとも、生まれた順番は決して入れ替わることがない。兄は兄。弟は弟。同じ男として年長者の威信を傷つけないよう、さりげなくフォローしないとトラブルになってしまう。
オレの兄ちゃんの場合、周囲からの評価が高いからなおさらだ。実は鈍くて、ぬけているところがあるのに気づかれていない。というか、本人も気づいていない。しっかり者として扱われていながら隙だらけ、兄ちゃんのそんな危うさに気づいてしまってから、オレは目が離せなくなってしまった。
兄ちゃんは、しょっちゅう母さんの地雷を踏んでは小言をもらっていた。どうすれば親が喜ぶか、怒らせずにすむか。ちょっと考えればわかることなのに、まったく無頓着なのだ。下の方が要領がいいと言われるけれど、我が家の場合は極端なくらい兄ちゃんがいつも怒られている。
父さんは、オレと同じように兄ちゃんの危うさに気づいていて、わざとちょっかい出しては反応を楽しんでいるようだった。もちろんそんな変化球の愛に気がつくわけないから、父さんの思惑どおりいつも真っ赤になって怒っていた。
そう、兄ちゃんは他人の感情を読むことが、とりわけ不器用なのだ。
―――だから今もこうして、元希さんと口論になっているわけで……
オレは兄ちゃんの背中に隠れたまま、肩越しから不機嫌きわまりない元希さんの姿を覗き見た。


高校を卒業して都内の大学に進学した兄ちゃんは、元希さんと一緒に暮らしている。
元希さん―――榛名元希はプロ野球選手だ。整った外見と目立つ言動で、野球をよく知らない人でも顔を知っているくらいの有名人。
なんでそんな有名人と兄ちゃんが一緒に住んでいるのかというと、中学のとき所属していたシニアチームでバッテリーを組んでいたからだった。高校は違ったけれど、同じ地区内だから、ずっと交流はあったらしい。というか、元希さんが一方的に兄ちゃんに声をかけているように見えた。今の同居だって、元希さんからの提案だ。
遠征や外出が多く、不在がちな部屋の留守番役に……なんて話だったけれど、どうも胡散臭い。独身なんだから独身寮にいることだってできるはずだ。一緒に住もうと誘うほど、どうして元希さんは兄ちゃんをかまうのか―――
高校時代、兄ちゃんと一緒にいるときの元希さんの顔を思い出すと、答えは簡単に導き出せる。たぶん、元希さんは兄ちゃんが好きなのだ。かなり特別に。
そんな元希さんと一緒に暮らしていながら、夏休みに帰省した兄ちゃんの様子は相変わらずのように見えた。だが思い込みは危険だ。兄ちゃんたちの同居生活をなんとか偵察できないものだろうかと考えていたところ、神様がチャンスをくれた。
帰省していた兄ちゃんがちょうど東京に戻る日、母さんが遠方の親戚宅に危急の用で出かけねばならなくなったのだ。しかも父さんは出張中という千載一遇のタイミング。
オレは家に一人きりになってしまう不安を、母さんに少しだけアピールしてみせた。やりすぎて、心配だから母さんが家に残ると言い出したら本末転倒なので、あくまでも少しだけ。そこらへんのさじ加減は我ながらパーフェクトに把握している。
そして計画どおり、東京に戻ろうとしていた兄ちゃんは、母さんに命じられてオレの面倒をみることになった。文句があっても、そこは長男。しかたねーなと言って、元希さんと暮らすマンションにオレをつれてきてくれた。


兄ちゃんが合鍵で玄関の扉を開けるなり、待ち構えていたように元希さんは現れた。テレビや新聞でよく見ている顔なのに、全然雰囲気が違うのは表情のせいだ。
「遅かったじゃねえか。メシ食ったのか?」
ついてきたことをいきなり後悔したくなるほど、兄ちゃんを見る目の色が甘い。兄ちゃん、こんな目で見つめられて、よく何も感じないでいられるな。
だが、背後にいるオレの姿に気づいたとたん、元希さんの優しい表情は一変した。眉をしかめて目をすがめる。
「おい、タカヤ。こいつ誰?」
低い声で問う。
「シュンです。弟の。会ったことあるでしょう」
「あるけど、なんで?」
「今日、こいつの面倒もみなきゃなんねーんで。ほらシュン。お前も挨拶しろ」
「よろしくお願いします!」
「は?」
元希さんは剣呑な表情を隠しもせず、見るからに不機嫌そうになった。顔立ちが整っている上、背が高いから視線に威圧感がある。まともにやりあう気がなくても、逃げ出したくなるような迫力だ。しかし、こんなことで退いていたら部屋について来た意味がない。それに、この状況下で兄ちゃんがどんなを選択するかはわかっている。
鋭い視線を平然と受け止めていた兄ちゃんは、息を吐くと、しおらしい声を出した。
「すみません。親が急用で家を空けることになってしまって、母親にシュンの世話を頼まれたもんで。けど、こっちに帰る約束してたから一人にしておくわけにいかねえし、それで一緒に連れて来たんす」
「そんなもん、一人で大丈夫だろうが」
呆れたように元希さんが言う。
「そうですか?」
「当たり前だ。いったいいくつだと思ってんだよ」
「………それもそうっすね」
元希さんの言葉を吟味するようにしばらく黙りこんでいた兄ちゃんは、「行くぞシュン」といきなり踵をかえした。
「え、兄ちゃん?」
「おいっ。タカヤ!?」
慌てて元希さんが肩を掴んで引き止める。
「どこ行くんだよ!」
「元希さん、一人で大丈夫って言ったじゃないすか。だから実家に帰ります」
淡々と兄ちゃんが告げると、元希さんが唖然とする。
あー、わかっていない。兄ちゃん、一人で大丈夫って元希さんが言ってるのはオレのことだよ。もちろん、見てておもしろいからそんなこと教えてあげないけど。
「元希さん、遠征終わったばっかでしょう。今日帰ってくるあんたを一人にしちゃいけないと思ったから、こいつも連れて来たんですけど…」
「おい、ちょっと待て。なんでオレが一人になることを心配されなきゃなんねーんだよ!」
「だって、一人はイヤなんでしょう?遠征から帰ったとき、オレがいないといつもすげー文句言うじゃないすか」
「それは、お前に会い………。いや。なんでもねーよ」
兄ちゃんの肩を掴んだまま熱く語りかけた元希さんは、背後にいたオレの存在に気がついて都合悪そうに言葉を濁した。
「あんたが一人で平気なんだったら、オレはこいつ連れて実家に帰ります。親が帰ってきたら、あらためてこっちに戻ってきますんで」
これで話は終了とばかりに、兄ちゃんはぺこりと頭をさげる。
「ちょ、待て!そんなん平気じゃねえよ!!」
「じゃあ、シュンも一緒でいいんすか」
「だから、そこは一人でいいだろ!!」
「だったら帰りますってば」
「待て、帰んなっ」
「いったいどっちなんすか」
呆れたように見上げる兄ちゃんの顔を見て、元希さんは長めの前髪をがりがとかきむしった。
「ああー。もういいっ。いいから、さっさと中に入れ!」
「シュンも一緒でいいんすか」
「いいっ」
元希さんがヤケになって叫ぶ。兄ちゃんはため息をつくと、靴を脱いだ。
「ったく、世話が焼けるんだから…」
「おめーに言われたかねえよ!」
やばい。おもしろい。
にやけてしまいそうになる顔を、咳払いするふりをして手で隠した。
やっぱり元希さんは兄ちゃんのことが、とても好きらしい。くっついてきた弟を邪魔者扱いして、大人気なく追い返そうとするくらいには。
そして兄ちゃんは、いまだ全然そのことに気がついていない。
そりゃそうだよな。兄ちゃんは子どものときから結構もてていたのに、色恋沙汰に信じられないくらい鈍いのだ。なんていうか、青春が野球バカ一色で塗りつぶされているかんじ。
だから一人暮らしをすると聞いたとき、恋愛経験値が皆無なだけに、目の届かないところでたちの悪い女にひっかかりはしないか心配になったくらいだ。
兄ちゃんが元希さんと一緒に住むと知ったときは、厄介な女にだまされるよりは、知っている奴のほうがまだマシと思って賛成したのだが、決して元希さんを認めたわけではない。
だって、兄ちゃんが元希さんのせいで変わってしまったときのことを、オレは今でも覚えているから。


ずっと玄関先で言い争っていたので、空調のきいたリビングに入ると生き返る気がした。
引越しのときに一度あがっただけの部屋をきょろきょろと見回す。半開きなっているドアの隙間から、バカみたいに大きなベッドが見えた。元希さんの寝室だろうか。兄ちゃんの部屋はどこだったっけと考えていたら、座って落ち着けと命じられてソファに腰をおろした。
「…お前ら、昔はそっくりだったけど顔が変わってきたな」
向かい側に座った元希さんが、あらためてまじまじとオレの顔を見る。
「中学ん時は、まるでタカヤのミニチュア版だったのに」
「そうっすか?たしかに小さい頃はよく言われたけど…。似てたかな?自分じゃわかんねーよな。シュン?」
「中学くらいまでは似てたかも。けど、兄ちゃんてば中学のときに人相が変わったから…」
「そうかあ?」
兄ちゃんが首を傾げる。
それは、目の前にいる元希さんのせいだったとオレは思っている。
中学のとき、兄ちゃんは喜怒哀楽が極端に激しい時期があった。
最近シニア入ってきた投手は、性格は悪そうだけどすごい球を投げるんだ、と言ったのが始まり。今日は取れたと言って喜び、取れなかったと言って悔しがる。あいつは話を全然聞かないと怒ったり、自分のパスボールのせいで試合に負けたと泣いている日もあったけれど、その頃の兄ちゃんは眩しいくらい楽しそうだった。
だけどある日、毎日のようにしていたすごい投手の話を一切しなくなったのだ。そして兄ちゃんの顔からは、きらきらが消えて表情が厳しくなった。あの頃の兄ちゃんの姿を思い出すと、何もできず見ていることしかできなかったもどかしさで胸が疼く。
「で、こいつも戸田北だった?オレ、会わなかったよな?」
オレの胸中も知らず、元希さんはのんきに戸田北の名前を口にする。
「いいえ、シュンはボーイズだったんで」
「ボーイズ?シニアじゃねえのか。兄弟なのに?」
「兄弟は同じチームに入れないっつー、親の主義なんですよ」
「ふーん」
当然のように兄ちゃんに淹れてもらったお茶を、元希さんが口にする。オレは小さく息を吸って、切り出した。
「それもあるだろうけど、ほんとは、体じゅうにあんなひどい痣ができるようなチームには怖くて入れられなかったんじゃないかな」
元希さんと兄ちゃんの間に気まずい空気が漂ったが、気づかないふりをして続ける。
「あの頃の兄ちゃんの体、ほんっとにひどかったもんね。兄ちゃんの体を見て、お母さんの顔ひきつってたよ。風呂に入るときも痛そうで大変だったし、もしも戸田北に行けって言われたら怖くて野球やめてたかも」
邪気を表さないように笑顔のままで言うと、しばしの沈黙の後、お茶を持ったまま固まっていた元希さんがぼそりと言った。
「…悪かったな」
「あれ、なんで元希さんが謝るんですか?」
しらじらしく問いかけていると、気まずい空気を追い払うように手を振りながら兄ちゃんが言葉をはさむ。
「シュン、あれはオレの技術が下手だっただけで、元希さんのせいじゃねーんだ」
「へー。なんだ。あの痣、元希さんのせい、だったんだ。そっかあ、今はプロで大活躍の元希さんに球ぶつけてもらってたなんて、光栄なことだよねー」
ははは、そうだろ、と笑う元希さんの唇がひきつっている。ざまあみろ。
「だから元希さんのせいじゃねーんだって。キャッチにはよくあることだしな」
兄ちゃんはいつもそう言うんだ。
元希さんが悪いわけじゃない。捕れないオレが悪かったんだ。
でも、兄ちゃんの言葉が強がりじゃなくて、ほんとに元希さんが悪くないのだとしても。
オレはあの頃、兄ちゃんの顔からきらきらを奪った元希さんのことは気に食わない。
だってオレは弟で、どんな状況であろうと兄ちゃんの味方で、泣かせるやつは許さないから。


「さあ、もう寝るぞ」
あからさまに話題を終わらせようと、兄ちゃんが立ち上がった。
「元希さん、今日はシュンと寝るんで。ほら、こっちこい」
首を掴まれるようにして連れられた兄ちゃんの部屋は雑然としていた。寝るスペースなんてどこにもない。兄ちゃんは野球の道具のつまったエナメルバッグを持ち上げて、机の隅に動かすと、
「ここらへんにあるモノ全部動かせ。オレは布団出すから」
そう命じて、押入れをあけて布団を引きずりだしはじめる。言われたとおり、積んであった雑誌や服を運びながら、不思議に思う。
「兄ちゃん、いつもこんなことしてんの?」
てっきり万年床になってるものだと思っていた。毎日こうやって荷物を移動させるだなんて面倒くさいだろうに。
「いや。いつもは布団つかってねーから」
「床で寝てんの!?」
「ちげーよ。あっちの部屋で寝てっから…」
布団をもったまま、あごでドアの奥をさした。
あっちの部屋?リビングにあったソファのことだろうか。大雑把な兄ちゃんならたしかにそれくらい平気だろうけど…。
ふいに大きなベッドのある部屋を思い出す。まさか。
「あのでっかいベッドで寝てるとか?」
「おお。見たか?すげー寝心地いいぞ、あれ」
あっさりと肯定して、どすんと布団を投げ落とす。足元がよろめいた。
「あ、あれ、元希さんのベッドなんじゃ…」
「うん。でかいだろ」
「あの、じゃあ元希さんはどうしてんの」
「寝てるよ」
「…一緒に?」
「男同士なんだから、問題ねえだろ」
兄ちゃんがシーツの端を持って、手伝えと渡してくる。のろのろと片方をもって広げると敷布団にかけた。このまま倒れこんでしまいたいが、弟として言うべきことは言わなければ。
「…あのね、兄ちゃん。ふつー、男同士は同じベッドに寝ないよ」
「ばーか。ナマイキに色気づいてんじゃねえよ。お前だってオレと一緒に寝てたじゃねえか」
頭を小突かれた。
「だって、それは子どものときの話だろ」
「そっか?ま、たしかにお前も体はでかくなったよな」
「そういう意味じゃなくてさー。だいたい、オレらだって毎日一緒に寝てなかったじゃない」
「別に毎日一緒に寝てるわけじゃねえよ。元希さん、家にいねーことが多いし」
「気持ち悪くない?」
「はあ?」
「男が隣で寝てるってことが」
「んでだよ?おまえ、そんな神経質だっけ」
驚いたように兄ちゃんが言う。
「いや、だって男なんだよ?」
「まあー。たしかにうっとおしいな」
「でしょ」
首を傾げて考えていた兄ちゃんが、オレの言葉に納得したように頷いたのを見て安心する。よし、ここから更正できるかもと思ったのが甘かった。
「うん、抱きつかれたら寝にくいしな」
「抱きつかれてんの!?」
「たまにな。あの人、どーもオレのこと、抱き枕と思ってるみたいでさ。シニアのときからそうだったから、ありゃ、どうしようもねえな」
「…シニアのときから……」
その言葉に潜む意味をを掬い取るように、オレはゆっくり呟いた。
「どうしたシュン?あー、そっか。もしかしてお前もあのベッドで寝てみたいか?」
「いや、いい!!」
部屋を出て行こうとする兄ちゃんにすがりつくと、やれやれと笑う。
「わかってるよ。今日はこっちで一緒に寝てやるから心配すんなって」
わかってない。全然わかってない。
この兄にいったいなんと言えば、いい年した男二人が一つのベッドで寝ることの不自然さを説明してやれるのだろうか。

「…やっぱ。狭いな」
照明をおとして、一つの布団にもぐりこんだ兄ちゃんが呟く。
「これなら、あっちで三人で寝たほうが…」
「絶っ対!やだからね」
「…んで、みんな断んだよ。ぜーたくな奴らだな」
ぶつぶつ文句をいって兄ちゃんが目を閉じる。
みんな、ということは誰か他にも誘われた人がいるんだろうか…。
その人物の不運に、弟として心からの謝罪をしていると、隣にいる兄ちゃんはもう寝息をたてていた。オレはというと、なれない場所ということもあり、体を横にしても意識が冴えて眠れそうにない。
こんなふうに兄ちゃんと、一つの布団で寝るなんていつ以来だろう。幼稚園の頃は母さんと寝ていて、小学校に入ったとき二段ベッドを買ってもらった。兄ちゃんが上段でオレが下段。でもオレも上に行きたくて、結局いつも兄ちゃんのところにもぐりこんで一緒に寝ていたっけ。
懐かしい記憶に耽りながら、隣の平和な寝顔に目をむける。
元希さんは春から一緒に住んでいて、しかも一つのベッドで兄ちゃんと寝ていながら、何もしていないのか。同じ男としては理解しかねる。
ああ見えて意外にもマゾ体質なのか。それとも、こんな兄ちゃんのことを大切にして我慢してくれているのか…。
たぶん、待ってくれてるんだろうな。
元希さんが兄ちゃんを見るときの、蕩けるほど優しい目の色を思い出す。シニアでの前科は気に食わないけど、努力は認めてあげてもいい。
ただ、肝心の兄ちゃんの気持ちはどうなのか。元希さんのこと、どう思っているんだろうか。
枕に頬杖ついて考えていると、まるで答えのようにぽふぽふと布団が音を立てた。
びっくりして身を起すと、兄ちゃんが足を伸ばして、何かを探るようにつま先を動かしていた。へんな寝相。なんか夢でも見ているんだろうか。
伸びた兄ちゃんの足の先が、オレのふくらはぎに触れた。すると動きがぴたりと止まった。
嵐の前のような奇妙な胸騒ぎが、ざわざわと体の中を駆けはじめる。
…もしかして、今のは、元希さんを探してたっていうんじゃ。
おそるおそる手を伸ばして、髪を触ってみる。硬くてクセのある髪を、いい子いい子するように優しく撫でてやると、兄ちゃんの唇が満足したように緩やかな弧を描く。兄ちゃんのこんな穏やかな笑顔。初めて見た。ますます胸が騒ぎはじめる。
「……さん」
夜の静けさの中でも聞き取れないほどの小さな声で兄ちゃんは名前を呼んだ。手を伸ばして、オレの腕に触れる。そして再び、深い呼吸の音が響きはじめた。
オレは毒気をすっかり抜かれてしまった気分で、枕の上に突っ伏した。
そうか。わかってしまった。
人の気持ちに疎い兄ちゃんだから、自分の気持ちだってわかっていないってことはありえる話で。つまりは兄ちゃんも元希さんのこと―――
まいった。これだとオレはただのお邪魔虫だったってことになっちゃうよ。


翌日、母さんが迎えに来てくれた。一人で帰れるといったのに聞きやしないのは、母さんが元希さんに会いたかったからだろう。ひとしきり喋るだけ喋ると満足したらしい。
「さあさ、シュンちゃん。おいとましましょ」
「はーい」
別れ際、オレは立ち止まり元希さんにむかってとびきり丁寧に頭をさげた。
「ふつつかな兄ですが、末永くよろしくお願いします。とても大切な兄なんで、くれぐれも泣かせたりしないでください」
「は?何言ってんだ、このバカ」
たちまち真っ赤になった兄ちゃんが僕の頭を殴った。
「こら、タカ!シュンちゃんを叩かない!!シュンちゃん。それじゃあまるでお兄ちゃんが、お嫁に行っちゃうみたいよー」
ころころと母さんが笑った。母さんに怒られて手をだせなくなった兄ちゃんはまだ真っ赤な顔のまま睨んでくる。
二人ともほんとに、何もわかってないんだから。わかっているのは―――
見上げたオレの目を、元希さんはまっすぐ受け止めた。
「泣かさねーよ」
そう言って、兄ちゃんの頭に手をおいた。手を払って抵抗する兄ちゃんの姿を見る目は、やっぱり甘い。それからオレに視線を戻すと、片方の唇をつり上げて、ふてぶてしく笑った。
「まかせとけ」
忍耐力と兄ちゃんの気持ちに免じて、ちょっとは信じてやってもいい。
ただし、今度泣かせたら絶対許さないし、二度と兄ちゃんは渡さないからね。







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ブラザーソウル=兄弟船? (2009/11/16)