Brand New Year
「ターカヤーー!!」
大晦日の夜、待ち合わせ場所に早めに着いたというのに、すでに待っていた榛名に大きく手を振って名前を叫ばれた。
「やめてくださいよ。ただでさえ、あんた目立つんですから」
慌てて走って近づくと、小声で注意する。
「誰も気づきやしねーって」
念願のプロ入りを果たして一年目。最優秀新人賞に選出されるほどの活躍ぶりに加えて、整った外見とざっくばらんな性格で男女共にファンも増え、榛名の人気はうなぎのぼりだった。ましてやここは地元だから、特に熱狂的なファンが多い。見つかったらどんな騒ぎになるかわからない。
だが、阿部の危惧もおかまいなしに、当の榛名は騒がれることにも慣れているのか、いたって平然としたものだった。帽子を深めにかぶったくらいで取り立てて顔を隠すこともなく、鼻歌まじりに颯爽と歩いている。
「・・・・元希さん、めちゃくちゃ楽しそうっすね」
「あったりまえだろ。タカヤが誘ってくれるなんてことめったにねーし」
「ちょっと気が向いただけです。・・・てっきり元希さんは秋丸さんたちと予定があるもんだと思ってたんすけど」
今夜、初詣に行こうと誘ったのは阿部だったが、あけすけに喜ばれると気恥ずかくてそっけなく呟く。
「あー。あったけど断った」
「は?」
「そんなん、タカヤ優先すんのあたりまえだろー。それに会うのも久しぶりだしな!」
当然のように宣言されたから、阿部は困惑しながらも言葉を返した。
「久しぶりって・・・この前、会ったばっかりじゃないっすか・・・メールもしょっちゅうしてるし」
「ばーか。メールと直接会うとのじゃ全然違うじゃねえか。それにお前のメールって心こもってねーし」
「・・・メール苦手なんすよ」
どうやら自分のメールは事務的すぎるらしい。榛名だけじゃなく、水谷にもからかわれたことがあるし、たまに三橋をビビらせているのも知っている。
だからって別に用件以外書くことなんてねーじゃねえか。
そもそも榛名がメールを送りすぎなんだと八つ当たりしたくなってくる。
榛名がプロに進んでからは、当然のことながら顔を合わせる機会は格段に少なくなったというのに、こんなにマメな人だったんだろうかと訝しくなるほど、毎日のようにメールが届く。今ではむしろ以前よりも榛名の生活に詳しくなってしまったくらいだ。
もしかしたら榛名なりにプロのストレスを発散しているんだろうか、そんなふうに思って苦手なメールにがんばって返信していたというのに、やはり気にくわなかったらしい。
「んな顔すんなって、タカヤのメールはメールで、らしくっておもしれーから。でもこうやって直接会うほうがもっといいだろ」
「・・まあ、そうっすね」
たしかに、こうして直に榛名の姿を見て、言葉をかわすと落ち着くというか安心はするけど。
今では当然のようにテレビの中にいる榛名が、こうして自分の隣で以前とかわりなく笑ってくれるというのが不思議だった。
「だいたいこの前会ったときは、時間なくてちょっとだけだったしな。つか、それ、あったかいか?」
榛名が阿部の姿を見て目を細める。
「ええ、あったかいっすよ。ありがとうございます。あのボールもちゃんと飾ってます。すげー父さんが羨ましがってました」
「そっか。そりゃよかった」
ぽんと頭を叩いて、笑顔を向けるから、阿部はもう一度小さな声でお礼を繰り返した。
ほんと、自分がでかいからって、いつまでも人を子ども扱いするよな、この人は。
だからこんなふうにプレゼントをくれたりするんだろうか・・・。
阿部は巻いてきた紺色のマフラーに目を落とす。
それはクリスマスだからといって、この前会ったときに榛名から贈られたものだった。
直前の誕生日には、阿部が中学の頃から好きだった選手のサイン入りボールまでもらっていたから、そんなには受け取れないと断り、かなり言い争った。最後にはオレの渡すものが受け取れないのかと半ば脅されるようにして押し付けられたのだが。
12月生まれのせいで、子どもの頃からクリスマスと誕生日のプレゼントはまとめてもらっていたから、
こんなふうに誕生日とクリスマスのプレゼントを二つも渡されるなんて、慣れてなくて複雑な気分だった。
それも榛名から、だなんて。
どうして榛名はこんなに太っ腹なんだろう。
やはりプロの世界ともなると金の使い方や交際の仕方が変わってくるんだろうか。
先日、契約更新した榛名の年棒は、新人にしては破格の年棒アップだと報じられていた。
お金があるから、こんなふうに知り合いみんなにプレゼントをばらまいているのかもしれない。
「・・・あんまり無駄遣いしちゃだめですよ」
「へ?ああ」
阿部の言葉に振り返った榛名が不思議そうに頷く。
いくら常人より報酬が多いからといったって、プロの世界は水物だから、いつ、何が起こるかわからない。
――――故障、とか。
もちろん、そんなリスクは榛名だってじゅうぶん考えているだろうから、決して言葉にはできないが。
でも自分なんかにいらないお金をつかわずに、ちゃんと貯金をしておけばいいのにと思う。
「遠慮すんなって。だいたいお前の誕生日にちゃんと祝ってやれなかったしな」
「まだそんなこと言ってるんすか・・・」
子どものように唇を尖らせる榛名に、阿部は苦笑する。
今から2週間前、阿部の誕生日の翌日に突然現れた榛名は、一緒にいられなかったことをひどく悔しがっていた。当日まで自分が誕生日を忘れていた阿部にとっては、どうして榛名がそんなに誕生日にこだわるのかわからない。
野球部のメンバーで誕生会をしていたのが気に食わないようだったが、、もしかして参加したかったんだろうか。そんなにイベントが好きな人だったとは思ってなかったので意外だった。しかし、クリスマスのときにも顔をだして、このマフラーを押しつけていったくらいだから、やはりお祭りごとが大好きなんだろう。
そんなわけで、プレゼントのお礼の意味もこめて、大晦日のこの夜に、年越しとともに初詣に行かないかと誘うことにしたのだ。
案の定、榛名は快諾してくれて、こうして今一緒に初詣にむかってるわけなのだが―――
会ってから始終、機嫌のよさそうな榛名の姿を横目で窺う。
たかが初詣に行くだけで、なんでこんなにこの人は嬉しそうなんだ。
やっぱりこういうお祭りごとが大好きなんだな。
あきれつつも、そんな榛名の姿を見るとこちらまで心が弾むような気がしてしまう。
そんなことを考えながらぼんやりと見つめていたら、目あって、くるみこまれるような笑顔を浮かべられたから咄嗟に目を逸らせた。
プロの世界にはいって、榛名はどんとん大人になっていく気がする。
つまり、それは―――
「で、調子はどーなんだよ。どうせお前のことだからソツなくやってんだろーけど」
「そうっすね。判定はまずまずっす」
「東京の大学だろ?」
「そうっす。・・・・・オレが大学行ったら、ほとんど会えなくなりそうですね」
何気なく言葉にしたのに、そう言うとたちまち体が寒くなった気がした。
不審そうに榛名が問う。
「んでだよ?」
「オレ、大学に受かったら、家出て一人暮らしするつもりですから」
今は実家に帰ってきたといって、たびたび榛名は立ち寄ってくれているけれど、自分が家を出てしまえば会う機会はほとんどなくなるだろう。いや、もしも自分が実家に居続けたとしても同じこと。
榛名も今はまだ里心があるからたびたび実家に戻ってきているのだろうが、これからプロの世界に染まれば、帰省する頻度はどんどん少なくなるはずだ。
大人になるということはきっとそういうことだろう。
そうやってゆっくりと進路がわかれて、縁も薄くなって行くんだろうな。
年が明け、受験を終えればもうすぐ卒業式ということもあり、すこしだけ寂しいような気分になる。
「お前、家、出んのか?」
「そのつもりです。毎日東京へ通うのはキツイでしょ」
「ふーん、そうなんか・・・」
阿部の感傷をよそに榛名はなにやら小声でブツブツ呟いている。
「・・・・・・そっか、東京なら一緒に住みゃいーんだな」
「は?何か言いました?」
「んー。いーや、なんでもねえよ。頑張って合格して、さっさと東京へ来いよ」
榛名がやけに嬉しそうな表情をうかべるのを不思議そうに見ていると、耳慣れない低い音が小さく耳に伝わってきた。
鐘の音だった。どこかの寺で除夜の鐘を撞いているのだろう。
「お、もう新年か?」
榛名の耳にも届いたらしい。きょろきょろとあたりを見回す。
「まだでしょう。除夜の鐘って早くから撞きはじめるから」
時計を見れば、新年まであと15分ほどだった。
いつもより人気の少ない静かな夜の道に、ゆっくりとしたリズムで穏やかな鐘の音が響きわたると、見慣れた場所がいつもと違う様相になる。
「鐘の音ってめったに聞かねえから、すげーオゴソカな気分になるよな」
「そうっすね」
自然と会話が途切れて、しばし二人して鐘の音だけに包まれて歩く。
ちょうど人どおりも絶えているから、ことさら榛名と二人きりだけのような気分になり、落ち着かなくなってくる。沈黙が気まずいわけではないが、なぜか心がキリキリと張りつめてしまう。榛名と二人きりになるのは、シニア時代からしょっちゅうあることなのに、久しぶりだから調子が狂ったんだろうか。
とりあえずなにか喋ろうと必死に言葉を探していたら、不意に榛名が沈黙を破った。
「・・・なあ、タカヤ」
「はい」
「お前、オレのことどう思ってんの?」
「はぁ?」
これまたいきなり大雑把な質問だな。と阿部は首を傾げる。
「元希さんは、元希さんでしょ」
「いや、だから、オレはお前のこと好きだけどお前はどーだって聞いてんだよ!!」
「ああ、好きですよ」
なんだ、またその話か。
さっきまでの緊張が一気に途切れ、阿部はため息をつく。
高校で再会したときに自分が徹底的に榛名を無視したもんだから、今でも自分が怒ってるんじゃないかと気になるらしい。最近は聞かれていなかったというのに、除夜の鐘を聞いて一年を振り返ってるうちに思い出したんだろうか。
「もう怒ってないっつってるじゃないっすか」
「だーーーっ。だから、そうじゃなくてだなっ」
いつもこの話になるとやけに興奮してるよな、と目の前で両手をわななかせている榛名を冷静に見つめる。
そんなにあのときの自分の態度はひどかったんだろうか。
「オレはお前を・・・」
榛名が叫びかけた声を、突然のけたたましい喚声とクラッカーの爆発音が飲み込んだ。
二人して、何事かと騒音の方角に目を向ければ、小さな店の扉から、十数名の外国人が肩を組んで歌い踊りながら雪崩のように飛び出してくる。
店内でパーティをしていた集団が、興奮のあまりとびだしてきたのだろう。パーティ用の華やかな服をまとい、頭にカラフルな帽子をかぶった人びとが、色鮮やかな小さな国旗を振って大声で叫んだり、笑ったりして、あっというまにあたりはお祭りの雰囲気に包まれる。
「おもしれーな」
「・・・・そうっすね」
言葉を遮られたことも忘れたらしい榛名と、あっけにとられて大騒ぎする集団に目を奪われる。眺めているうちにどうやら年越しの時が近づいたらしく、声を揃えてカウントダウンが始まった。
「10・9・8・・・・」
除夜の鐘にカウントダウンってめちゃくちゃだな、と呆れながらも一斉にそろえられた声、浮き立つ空気に引き止められて、阿部も一緒に心の中で声を合わせた。
「5・4・3・2・・・・」
1、のタイミングでたくさんのクラッカーが鳴り響いて、小さな花火まであがった。
何を言っているのまったくわからない喚声の中、外国人の集団は傍にいる人たちとキスやハグをしたり、体を抱き上げてまわしたり、肩を組んで走ったりしている。
とんでもないバカ騒ぎを感嘆して眺めていると、阿部の体が、ふいにふわりと体が暖かくなる。気づけば榛名の腕の中に抱き込まれていた。
ハグなんてものじゃなく、ぎゅっと、榛名の体に密着するようにきつく抱きしめられて、ダウンに顔が埋もれる。
「も、も、元希・・さん?」
榛名の表情を窺おうと慌てて顔をあげたら、優しい目で唇を緩めた榛名が近づいてくるところで、そのまま額に冷たい唇が触れた。派手な音を立てて離れていく。
「な、なにすっ・・・・」
額を押さえて、後ずさろうとしたが榛名の腕の力が強くて抜けられない。
「ハッピーニューイヤー!みんなチューしてっからな!!」
満面の笑みを浮かべて榛名が告げる。
「・・ハッピーニューイヤーって・・・」
そりゃあ、たしかにまわりじゃ今もキスの嵐だけど・・・・・。
「・・・・あんたは外国人ですか・・」
阿部は榛名の唇が触れた場所を押さえたまま、脱力する。
ほんとにお祭り騒ぎが好きなんだな・・・呆れるのをとおりこしてもはや感心したくなってくる。
キスをして満足したのか、榛名は阿部を腕の中から解放すると再び何もなかったようにさっさと歩き出してしまう。
阿部は額を押さえたまま、立ちつくした。
榛名の唇は冷たかったのに、今では触れられた場所がズキズキと熱く疼く。大声で叫びたくなるような心臓が駆け出すようなヘンな気分になるのは、周囲のお祭り気分が伝染したからなんだろうか。
ったく。しかたない。
阿部は榛名の背中の後を追って名を呼んだ。
「元希さん」
「なん・・・・」
振り返った榛名の無防備そうな頬に、ちょんと軽く唇で触れてみた。
思ったよりも柔らかいんだな、と思いつつ唇を離す。至近距離で見た榛名の表情はおもしろいくらいかたまってる。
「タ、タ、タ、タ、タカヤッ!?」
「ハッピーニューイヤーなんでしょ」
平然と告げたのだが、榛名は頬に手を当てて、珍しく慌てふためいている。
なんでそんなびっくりするんだよ。自分が先にやったくせに。
そんなに動揺されたら、こっちが恥ずかしくなるじゃないかと阿部は口を押さえた。
「そ、そりゃそうだけど、お前がって・・・・」
榛名からしたくせに、自分が同じことをしたらダメなんだろうか。なんだか腹が立ってくる。
「さっさと初詣いきますよ」
先ほどとは逆に榛名を置き去りにして進みだそうとしたら、後ろから手をつかまれて強くひっぱられた。背中から榛名にぎゅっと包まれる。
「ったく。なんすか」
ぶっきらぼうに振り返ったら、今度はこめかみにキスをされた。
「タカヤ、今年もよろしくな」
いつまでやってんだ、肘鉄いれて逃げようかと思ったけれど、「今年はいい年になりそうだなー!」と告げる榛名があまりに嬉しそうだから何もできなくなってしまった。
つられて阿部も笑顔を浮かべる。
「今年もよろしくお願いします」