private life



大学生になってはじめてのゴールデンウィークのこと、
東京の大学に進学した阿部、水谷、栄口、花井の面々は
プロ一年目で忙しい田島のスケジュールにあわせて集まった。
とりあえず居酒屋で近況を報告しながら晩飯を食べ、
さて、これからどこへ行こうかということになって、
ああだこうだと候補をあげていたら、
「俺んちに来ていいよ。けっこう広いし、ここからも近い」
と、阿部が告げたので、みんなして阿部の部屋になだれ込むことに決定した。
阿部がまとめて会計するために席を立つと、
「なあなあ、阿部んちってどんなとこなの?」
卒業後久しぶりに会った田島が、阿部と同じ大学に進学している花井に尋ねる。
「そういや俺も、阿部のとこ行くの初めてだ」
「そうなのか?じゃあ栄口と水谷は?お前らだってしょっちゅう会ってんだろ」
「いつもはうちに来るからねえ。俺も行ったことないな」
「俺なんて、行きたいって言ったらダメだって断られたんだよー」
わざとらしく水谷がうなだれると、
「あんときは、都合が悪いって言っただろ」
すばやく会計をすませて戻ってきた阿部が、 オーバーな水谷の頭をぽんと叩いた。
「人聞きの悪い言い方すんな」
「ふーん。なんだ、じゃあみんな初めてなんだな。 たっのしみー。さっさと行こうぜ!」
はしゃぐ田島を先頭に、一同揃って店を出る。
まさかそのときは、はじめて訪れた阿部の部屋で、
彼のとんでもない私生活を垣間見ることになるとも思わずに。


阿部が住んでいるという場所は、都内でも人気の沿線にあった。
途中で食糧やら飲み物をまとめてコンビニで買い込むと、
きょろきょろとあたりを見回しながら花井が聞く。
「阿部の住んでるとこ、この近くなのか?」
「ああ。すぐそこ」
「ふーん、ずいぶんいい場所に住んでんだな」
「そーかあ?」
興味なさそうに阿部が答えるのに、栄口が重ねた。
「うん、ここらへん人気あるよ。家賃高くなかった?」
「んー、間借りだからな。光熱費込みで約7万」
「「「間借り!?」」」
聞き慣れない言葉に、皆いっせいに声を揃えて聞き返す。
「言ってなかったっけ。俺、ルームシェアしてること」
「ええ?そんなの初耳だよ」
あれ、そうだっけ、と呟きながら、すたすたと阿部が入っていったのは
大理石風のタイルが幾何学模様に敷き詰められたエントランスで。
どうみても高級分譲マンション。確実に学生向けのそれではない。
「ま、まさか、ここか?」
「ああ」
阿部はポケットから鍵を取り出すと、 慣れた手つきでオートロックを解除する。
開いたガラスの扉をくぐると、植栽が整えられた内庭と小さな噴水が目に入って
うわっすげーと田島が叫び、あっけにとられたように花井が呟く。
「やけに高そうなマンションじゃねえか」
「うん、それは俺もそう思う」
とてもふつうの学生が住むようなマンションではない。
いくらルームシェアしているといったって、
都内のこの場所で間借り代が7万だなんて、まず折半ではないはずだ。
こんなマンションでルームシェアって、いったい誰と。
阿部に先導されるままエレベーターに乗って
わー、エレベーターもぴっかぴか!とはしゃぐ田島はさておき、
察しのよい花井と栄口、水谷の三人は複雑な面持ちで見つめあった。
彼らが知る限り、阿部のまわりでこんなマンションに住むことができそうな人物は二人いる。
そのうちの一人は、彼らの元チームメイトの三橋だったが
三橋は祖父が経営する関連の大学に進学して自宅通学なので、
当然都内のマンションに住んでいるはずがない。
となると、残るはもう一人だけなのだが、
もしも、その人物の部屋に阿部が住んでいるというのなら、
その部屋にはとてつもない地雷が隠されてそうな気がするのだ。
なぜなら三人が知る限り、その人物と阿部の関係は とても微妙なのものだったから。
このまま部屋に行くと、友人の知りたくもない なまなましい私生活を知ってしまいそうで、
いっそ今帰れば、何も知らないままに引きかえせるぞ、
知ってしまったら知らなかったではすまないぞ、
しかし友人として現状を把握しておくべきかもしれないぞ、
と躊躇し、帰るとも言えない三人は重い足取りで 阿部の後ろをついていく。

「ここ」
と、阿部が立ち止まった玄関には、 はたして、三人が恐れていた答えがあっさり記されていて、
いやな予感が大的中した栄口と花井と水谷は、ああやっぱりと肩をおとす。
鈍いシルバーの表札に刻まれた、その名はーーー榛名。
シニア時代に阿部がバッテリーを組んでいたすごい投手の名だ。
阿部よりも一年早く高校を卒業した彼は、希望どおりプロの道に進み、
現在は華々しい活躍を続けている。
阿部と榛名にはシニア時代、複雑な確執があったらしく、
高校に入学した頃の阿部は榛名をひどく毛嫌いしていたが、
その後すったもんだの末に和解して、
それなりのつきあいを続けているのは西浦メンバーの中では周知のこと。
口の悪い阿部は榛名の文句をしょっちゅう言っていたが、
はたから見れば、榛名が阿部をとても気に入っているのは明白で。
でも、まさかプロになった榛名と 大学に進学した阿部が一緒に住んでいたなんて。
それっていったい・・・なんとなく察してはいたけれど
形にはなっていなかった疑惑がぶくぶくぶくと、頭の中で急速に膨らんでいく。
一人動じていないのは田島だけで、表札を見て叫ぶ。
「なんだ阿部。榛名と住んでたのか!」
「ああ」
「あいつ、なんでマンションなんか住んでんの?榛名んとこの球団だって独身寮はあんだろー」
「飯が口にあわないとかなんとか文句言ってた。わがままな奴だからな」
「へー」
「でも結局、あいつに家事なんてできねえし。それに遠征やなんやかんやで居ないことが多いから、
留守番代わりに住んでくれって頼まれて。家賃も安いから引き受けたんだ」
「なるほどなー、あ、じゃ、もしかして榛名いるの?」
「今日はいねえよ。今週は遠征中。だから呼んだんだよ」
「なーんだ、つまんねー」
(なんでそう思えんだ田島。)
(絶対いないほうがいいよね。)
(っていうか居たら俺は帰る。)
廊下に立ちつくしたままの三人は、そっと視線で会話する。
「だから、この前水谷が来たいって言ったときは、 元希さんがいたから断ったんだよ。悪かったな」
「いやいや、もうそういうことなら・・・」
二度と部屋に遊びにいきたいなんて言わないよう、と 水谷は心の中で叫んだ。
「ま、中入って」
阿部が扉を開けると、お邪魔しまーすと田島がとびこんで、
廊下で硬直していた三人も、促され覚悟を決めて足を踏み入れる。
「うわ、すっげ。ふつーの家みてえ。どんだけ部屋あんの?」
「3LDK」
わかっているのかいないのか、へーといいながら 田島は遠慮なしにずかずか先にすすんでいく。
短い廊下の突き当たりは広々としたリビングで、トーンの違うグレイでそろえられた部屋は、
あまり物がないこともあって、整然としている。
「そこらへん、適当に坐ってくれ」
「うーす」
ソファに荷物を置いて、三人が坐ろうとした矢先、どうにもこうにも未知の場所を
点検せずにはいられないらしい田島が、リビングに面した引き戸を遠慮なしに開けて叫ぶ。
「おわー!すっげえダブルベッド!」
「「「っ」」」
(ダ・・ダ・・ダブルベッドォォォ?)
(ひいい。やめてくれ田島!)
(俺たちはもうこれ以上、何も知りたくなんかないんだ!!)
「ああ、ここ寝室」
とくに気分を害した様子もなく、淡々と阿部が答える。
「すっげーでけー。これ阿部の?」
「いや、元希さんの。あの人身体でかいだろ」
「ああ、そっかあ。なあ、どっかにエロ本隠してないの?」
田島はゴソゴソとベッドの上下を覗き込む。
「さあ、見たことねえな。っていうか親と一緒に住んでんじゃないんだから、
何もベッドに隠す必要ないんじゃねえの」
「そりゃそうか。でも俺、今でもベッドの下においちまうなー」
そりゃクセになってんだな、と阿部と田島のエロ本談義は聞き流し、
残された三人は奇妙な動悸におそわれていた。
(っていうか、阿部のベッドが見当たらないんだけど。)
(それは阿部の部屋にあるんだよ!)
(もしくは阿部は布団を敷いて寝てるんだ。そうなんだよね。)
(頼む。阿部、布団派なんだって言ってくれ。)
怖い、怖いけれど聞いてみたい。
確認しないと、恐ろしい結論に達してしまいそうだ。
すっかり心で会話できるようになってしまった三人のうち、
特攻隊長の水谷が冗談めかして笑いながら尋ねた。
「なあ。阿部はどこに寝てんの?  まっさか一緒に寝てるってことはないよねー、ははっ」
「え、ここで寝てるけど」
一番聞きたくなかった言葉を平然と阿部に答えられ、 三人はその場で、はかなく散ってしまいたくなる。
「俺の部屋狭いから、机入れたらベッド置けなくて、布団敷いて寝るつもりだったんだけど、
元希さんが一緒にベッド使っていいって。毎日布団を敷いたりあげたりすんのって面倒だし、
ベッドのほうがラクだろ」
「え、で、でも。同じベッドで寝るのって・・・」
「別に男同士なんだから問題ねえよ。ざこ寝と同じだろ。俺らだって、合宿で布団足りないときは
そうしてたじゃねえか。このベッドでかいから、ちっとも窮屈じゃないぜ」
もはや返す言葉もなく、脂汗をダラダラ流している三人の 青ざめた表情にまったく気づかない阿部は、
「でもあの人、寝相悪くてすぐに近寄ってくるから鬱陶しいんだけどな」
追い討ちのごとき言葉を放って、三人をノックダウンすると、 そのままキッチンへと姿を消す。
(ダブルベッドでざこ寝って・・・)
(そういうもんなのか)
(いや、絶対違うと思う)
(阿部って・・・)
雑な奴だとは思っていたけれど、そこまで雑だったなんて。
というか、そんな阿部と一緒に寝てる榛名は何を考えているのだろうか。
阿部の平然とした様子をみれば、 ほんとにただ一緒に寝てるだけなのは明白だけれど、
それってつまり、ずっと据え膳を我慢しているってことなのでは・・。
(榛名さんってそんな忍耐強い人だったっけ?)
(もしかして、俺たちが勘ぐりすぎなのか?)
(そ、そうだよね。俺ら考えすぎかもしれないよね)
とりあえず、これ以上深く立ち入らないようにしよう。
何も見なかったといわんばかりに三人はベッドに背をむけた。


キッチンからグラスを準備した阿部に呼ばれて、
あらためてダイニングに座り込むとみんなで再度乾杯する。
今日参加できなかった三橋のことや、その他のメンバー達の近況、
後輩たちの夏大準備の状況について話したり、田島のプロ生活の様子を聞いたりと、
久しぶりに集まった仲間との会話のネタはつきなかった。
買ってきた大量の食料もあっという間に平らげて、夜も更け、日付も変わった頃、
不意にリリリと軽快な音をたてて部屋の電話が鳴り響く。
「こんな遅くになんか用っすか?」
めんどくさそうに電話をとった阿部は 相手が誰かわかっているのか名乗りもしない。
「そんなんでいちいち九州から電話してこないでくださいよ。 電話代もったいないでしょ。
ーーーーはあ、まあ、そりゃそうでしょうけど」
榛名かあ?と聞く田島に阿部は頷くと、悪ぃと手で謝る。
「ああ、すみません。西浦んときの仲間が来てるんで。
 ーーーー別にいいでしょ。部屋広いんだし。
 ーーーーはあ?あんた酔ってるんですか?俺男ですよ。何考えてんですか
 ーーーー裸で寝るわけないでしょ。あんたと一緒にしないでください」
ジュースを飲んでいた花井が思わずむせて、
何やってんだ、と田島が指差して笑い、栄口が背中をさする。
「はあ、でも布団足りないんですけど
 ーーーー別にいいでしょ。大きいし
 ーーーーそりゃあんたのベッドですけど、いつも俺だって寝させてくれてるじゃないですか。
元希さん、そんな神経質な性質じゃないでしょ」
どうやら、阿部は親切にもあのベッドに 皆を寝かしてくれるつもりだったらしい。
考えまいとしたベッドの存在を思い出して、
花井と水谷と栄口は再びキリリと胃が痛くなる。
(やっぱりあのベッドは阿部専用なんだ・・)
(阿部、その親切な心だけで俺はもうじゅうぶんだ)
(俺も布団なんていらない。頼むから床で寝させてください)
「そういうもんですかね
 ーーーーはいはい。わかりました」
どうやら花井たちの祈りが通じたようで、阿部がおれたようだ。
「なんですか?
 ーーーーそんなに眠いんならもう寝たほうがいいですよ。  明日も早いんでしょ。
 ーーーー俺は大丈夫ですよ。あんたのほうが心配です。
飛んで帰るなんて言わないで、ちゃんと団体行動守ってくださいね」
(榛名さん、飛んで帰りたいんだ・・)
(それって、もしかして俺たちがいるから?)
(九州じゃなきゃ、まじ帰ってきそうだよな)
関門海峡ありがとう、もはや海にすら感謝したくなる三人だった。
「はあああ?なにばかなこと言ってんですか。 そんなん電話で出来るわけないでしょ」
 ーーーーヘンな揚げ足とるのやめてくれますか。 そんなことするわけないじゃないですか」
 ーーーーは?
 ーーーーはい。おやすみなさい」


乱暴な口調ながらも、最後は丁寧なおやすみの挨拶して阿部が受話器をおく。
「・・ったく、あいつ人をガキ扱いしやがって」
「榛名、なんだってー?」
「何でもねえよ。あいつ留守番任せるって俺を住ませときながら、
出かけたときは毎晩電話で確認してくんだよ。たいがい人を信用しろってーの」
(阿部、それは違うと思う)
(毎晩電話してくんだ・・・)
(どうしよう。俺、榛名さんがすごく不憫に思えてきた)
花井と栄口と水谷は、同じ男として榛名のために同情の涙をこぼす。
「んじゃ、俺もそろそろ寝ようかなあ。朝一番で帰りてえし」
「おー、そうだな。じゃあ布団出すか」
田島の言葉が合図になって、その場はおひらきとなった。
どかどかと押入れから客用布団を阿部がひっぱりだしてきて、
「んー。悪い。布団が二組しかねえんだよ。
あぶれた奴は、俺といっしょにベッドで寝てもらうつもりだったんだけど・・」
「あ!じゃあ俺、ベッドで・・」
「「「いや、いい!」」」
三人は田島の口を無理やりふさいで押さえ込むと、 恐ろしいものから身を隠すように急いで布団に横になる。
「なんだよ〜。三人揃って痛ってえなあ。 俺、でかいベッドで寝てみたかったのに・・・。
でも、こうしてっと合宿思い出すよな。懐っつかしいー」
むくれたのもつかの間、せまい布団の上を田島が嬉しそうに転がる。
「はじめての合宿のときもさ、部屋が狭くてみんなでひっついて寝たよな。
あんとき、シガポが男女の仲は寝てみてはじめて深くなるとか言って
花井が激怒して、みんなで枕投げしたよな。あれ、おもろかった!」
「そんなことあったか?」
阿部が首を傾げる。
「そういや、あんとき阿部と三橋いなかったんじゃないかな」
「そうだっけ」
「阿部はともかく、あの頃の三橋って全然輪に入らないで、 すっげえ逃げ腰だったもんな」
「喋るときとか絶対、目、あわさなくて」
「こっちがイライラするくらい、おどおどしてたよな」
「なんか言うとすぐ泣くし」
「それは今でも同じだけどな」
笑いながら懐かしい思い出にしばし浸っていると、
「でもさー。あんときのシガポの話がほんとなら阿部と榛名は同じベッドで寝てんだから、
めっちゃ仲深まってんじゃないのー」
と田島が無邪気に爆弾を投下して、花井たちを撃沈させる。
「気持ち悪いこというな」
心底嫌そうに阿部が答えるのを聞いて、
だめだもう、これ以上会話しちゃいけないと花井が白旗をあげる。
「俺、もう寝るわ」
「俺も・・」
「電気消すぜ」
「んじゃ、おやすみー」
「ああ、おやすみ」
「・・・」
「あ、そうだ」
ちょっとの間をおいて暗闇の中、阿部が低く呟く。 あっという間に田島だけは熟睡してしまっていた。
「なに?」
栄口が小さな声で問い返す。
「たぶん大丈夫だと思うんだけど、ここ、ときどき虫がでんだよな」
「「「は?」」」
「たまに朝起きたら刺されたみたいに赤くなってんだ。
べつに痒くねーから、たいして害はねえんだけど」
「「「・・・・」」」
(刺されたような赤い痕)
(でもって痒くない)
(それって、それって、もしかしたら、もしかしなくても・・)
(((・・・榛名さん。泣))))
「あー。ごめん。寝る前に言ったら、かえって気持ち悪かったか?」
三人の暗く重い沈黙を勘違いした阿部が謝る。
「いや、もうよーくわかったから、これ以上は何も言わないでくれ。頼む」
「?」


翌朝、始発で帰るという田島に合わせて、 4人は揃って阿部に別れを告げた。
エントランスに出ると、うっすらと東の空が明るくなって
早朝の神聖な静寂があたりに満ちている。
熟睡した田島は、気持ちよさそうに伸びをすると、 つと首をかしげて呟いた。
「なんかさー、なんでか俺、間男になった気分だったなー」
我らが4番はなんだかんだいって、常にずばりと本質を見抜く奴なのだ。
一晩中剛速球に追いかけられる悪夢にうなされた花井と栄口と水谷は、
クマのできた顔を見合わせて深く重く頷いた。
「・・・榛名さんて、すごい人だよね」
「で、阿部ってやっぱりヤな奴だよな」
「阿部はほんとに、ひどい奴だよ・・」
野球を離れれば人間関係に鈍感なこと極まりない友人と
確実にその友人に惚れこんでいるであろう男との、
かぎりなく微妙な関係を改めて見せつけられた三人は、
夜明けの空にむかってため息をついた。