お酒は20歳になってから


「たっだいまーっ」
「おかえりなさ・・・」
「タカヤー!」
ドアを開けるなり部屋に飛び込んできた榛名に、いきなり抱きつかれた。
榛名の体からは冬の冷気に混じり、熱っぽいアルコールの匂いがして、酔っているのだとすぐにわかる。
なるほど、いつもより態度が大げさなわけだ。自分よりも大きな体で、甘えるように頬をすりよせてくる姿に辟易して 阿部はため息をついた。
榛名が酒を飲んで帰ってくることはあまりない。自己管理の厳しい榛名は意識的にアルコールを摂取しないようにしていた。それでも、断りきれないつきあいというものがあるのか、シーズンオフになってからは、酒席に招かれて飲んで帰ってくる。
「元希さん、水、飲みませんか?」
押し倒さんばかりの勢いで絡んでくる巨体から、なんとか逃れようとして声をかける。
「んー。飲む」
「じゃ、離れてください」
「やだ」
「・・・・・・」
しかたなく抱きついた榛名をずるずるとひきずったままキッチンへ向かい、阿部がグラスを手にとっていると、榛名が声をあげた。
「お、ケーキがあるじゃねえか。これ、食っていい?」
「いいっすよ」
やっと解放されて一息ついた。榛名は、キッチンの台に置かれていたケーキに手を伸ばすと、繊細なデコレーションには目もくれず、フォークでざっくりかぶりつく。
「酒飲むと、やたら食いたくなんだよなー。つか、タカヤが甘いもん買うなんて珍しくねぇか」
「もらったんです」
「へー。やたら豪華そうなケーキだな。なんでこんなもん・・・」
「今日、オレの誕生日でしたから」
「っっ!!!」
阿部の言葉に、嬉々として口にケーキをはこんでいた動きが止まる。
「ああああああ―――――――っ」
一瞬の間をおいて、榛名が悲鳴のような大声をあげたから、阿部は水を入れていたグラスを落としそうになった。
「なんなんすか、いったい」
「そういやそうだった。チクショー!先週までは覚えてたってのに・・・」
頭を抱えじたばたしていていたかと思うと、今度はいきなりつかみかかってくる。
「だいたい、おまっ、どーして、そういう大事なことを言わねえんだ!!!」
「はぁ?だって、別に言うようなことじゃないでしょ」
「んなわけねえだろ!!!誕生日だろ!!!ちゃんと言えよおおおお!!!」
膝をついてうちひしがれる榛名の姿に、首を傾げる。
誕生日なんて、年を一つ取るだけのことなのに、他人の誕生日を忘れたくらいで大げさな人だ。それともこれは酔っているせいなんだろうか。
そもそも阿部自身、母親から電話をもらうまで、今日が自分の誕生日だということを忘れていたくらいだ。榛名に言えるわけがなかった。だが、そんなことを今の榛名に言っても、通用しそうにない。
「そうなんすか。それはそれは、すみませんでした」
なんで自分が謝らないといけないのか理不尽な気もするが、榛名の大げさに嘆く姿に気おされ謝罪する。
「よし、仕方ねぇ。おみやげにもらったもんだけど、とりあえず今夜はこれで祝おう」
立ち上がった榛名は気を取り直すように告げると、持って帰ってきた紙袋から澄んだ緑色の壜を取り出した。透明な液体が気持ちよさそうにゆらいでいる。
「・・・それ、酒じゃないんすか?」
「そ。日本酒。すげー、うまいらしい」
「オレは飲みませんよ」
「なんでだよ。誕生日なんだからぱーっと飲もうぜ」
「誕生日っつっても、まだ19なんすけど」
「そーなんか?まー、いいだろ」
「いいわけないでしょう。あんたプロ野球選手なんだから。未成年者に酒を飲ませたことがバレたら大変ですよ」
「タカヤが家から出なきゃわかんねぇだろー」
「ダメです」
「んだよ、んなこと言って飲めねーだけじゃねえのー」
挑発するように告げられてむっとする。
「飲めますよ!ただ、親父からなるべく酒を飲むなって言われてて…」
「へ?何だよ、それ」
榛名が不思議そうな表情になる。
「家を出るときに、親父と酒を飲んだんすよ。そのとき、お前は酒を飲まないほうがいいって言われて・・・」
「んだよそれ。何!どーなんの?もしかして、すげーことになったりすんの?」
興味津々といったように榛名が身をのりだしてくる。
「いや、そういうわけじゃなくて・・・・・・・・」
「そうか、この手があったな。ってことは、あれがあれしてこーなると・・・」
「元希さん、オレの話聞いてます?」
酒を飲まない理由を聞きたがったくせに、うつむいて何やら一人で呟き続けている。
「元希さん?」
「うしっ、いける、いけるぞオレ!」
目を輝かせて顔をあげた榛名が、満面の笑みを浮かべて肩を組んできた。
「よし!タカヤ。今夜は飲むぞ!!」
「はあ?」
「絶対飲もう。つか、先輩命令だ。飲め!あびるほど飲ませてやる」
「え、ちょっ…」
最後まで人の話を聞け、という言葉が、盛り上がってしまった榛名の耳に届くはずがなかった。仕方ない。阿部は肩をおとして、酒につきあうことにした。



阿部は深くため息をついて、もたれかかってきた榛名の体をおしのけた。
テーブルの上に置かれた酒の瓶は空になって転がり、隣にいる榛名も床に沈んでいる。
だから、イヤだと言ったのに。
父親が酒を飲むな、といったのは、阿部が全然酒に酔わないからだ。一升瓶を開けたところで酔ったという気分すら感じない。飲みなれていないから酒の味もわからず、格別にうまいとも思えない。
母や祖父もこんな体質らしく、父親は、そんなやつは酒代がもったいないだけから飲むなと言い、阿部も、酒に魅力を感じないから、自分からすすんで飲むつもりはなかった。
榛名も、本来は飲めるほうなのだろう。だが今夜は飲み会で飲んでいたから、瓶を半分あけた頃には、かなり酔いがまわっていた。それでもやたら飲ませようとするから、すすめられるまま飲んだのだが、結局、榛名が先につぶれてしまった。
硬い床の上なのに平気で眠る姿を見ると、酒に酔うのはそんなに気持ちいいんだろうかと羨ましくなる。が、いくら本人が満足していても、このまま床の上に転がしておくわけにはいかない。諦め半分で声をかけた。
「元希さん?元希さん。」
「んー」
「体、痛めますよ」
「んー」
「ちゃんとベッドで寝ましょう」
「んー」
意識があるのかわからない返事に、やっぱりダメかと首を振る。
大学の集まりでも先輩たちに混じって酒の席につく機会は時々ある。酒に酔わない阿部は、必然的にいつも介抱役になるから、酔っ払いの扱いには慣れていた。
とにかく寝室まで連れて行こうと、両脇の下に腕を差し込む。
「ターカヤー」
振動で目が覚めたのか、阿部の名前を呼ぶと絡みつくように抱きついてくる。榛名に抱きつかれるのは慣れているけれど、手加減をしらない酔っ払いの抱擁は苦痛だ。しかも、酔った体は熱くて酒の匂いがする。
うんざりしながら、寝室までひきずっていこうと、抱きつかれたままで歩き出そうとしたが、泥酔した榛名の体は予想以上に重い。しかも酒が入ったせいか阿部の足にも力が入らず、重さにひきずられてふらつき、二人して床に転がってしまった。
「タカヤぁ」
すかさず甘えるような声をあげ、榛名が覆いかぶさってくる。重たい。
「元希さん、どいてください」
「だめー」
きつくしがみついたまま離れない。とりあえず、体の上から降りてもらいたくて、体をねじろうとしたが、身動きすらとれない。
いくらプロの野球選手で鍛えているからって、酔っぱらっててもこんな力が入るもんなのか。
半ば感心しながら、榛名の下敷きになったまま、天井を見上げてどうしたものか思案する。
床で寝るわけにはいかない。いくらオフシーズンとはいえ、榛名に風邪をひかせたくはない。
もう少し待って、榛名が熟睡してしまったら、力も抜けるだろうか。
それまで、ずっとこのままかよ……。
ため息がでる。
それにしても、体調管理の鬼の榛名がこれほど無防備になるのは珍しい。酔ったことのない阿部にはさっぱり理解できないが、酒って恐ろしい。
だが、今日の榛名はやたらと酒を飲みたがっていた。阿部の誕生日は口実で、酒が飲みたくなるようなことでもあったのかもしれない。
シーズンが終わった直後のように、不自然な距離をとることはないが、やはり榛名は自分に何か隠しているような気がする。野球のことで悩んでいるんだろうか。
・・・元希さん、肝心なことは口にしねーかならな。
いつも好き勝手喋っているわりに、榛名はほとんど自分のことを喋らない。少なくとも愚痴とか悩みとかそういった弱気な言葉は聞いたことがない。
もとから悩まない人なのか、たんに年下の自分には話す気がないのか、どっちなのかはわからないけれど。
もう少し、話してくれたっていいのに。そうすればシニアのときだって、あれほど榛名を否定しなかっただろう。もちろん、あの頃の榛名は、ちゃんと話せるような状態じゃなかったと、今はわかるが。
そのかわり、阿部には今の榛名がわからない。一緒に暮らし、傍にいるというのに。
・・・つか。近すぎる。
阿部に乗ったままの榛名の息が首筋にかかって、くすぐったい。右手は抱きこまれて動かせないから、かろうじて自由の利く左手で、頭を押して顔の向きを変えようとしたら、肩に頬をすり寄せてくる。横目で確認すると、頬を上気させた榛名は気持ちよさそうに目を閉じたまま。長い睫が影をおとして、口元は柔らかく幸せそうに弛んでいる。
・・・・・・・・・。
しばし榛名の寝顔に見入っていたことに気づいて、阿部は慌てて天井に視線をそらした。
昔から顔だけはいい人なんだ。シニアのときも、こんなふうに榛名の顔に見とれていたことを思い出す。同じ男なのにヘンな気もするけれど、男から見てもかっこいい男っていうのはいる。悔しいけど榛名はそんな男なんだろう。
自分に言い聞かせると、もう一度、榛名の顔にそっと視線を戻した。眠っている榛名の顔が見える。
目を開けてくれればいいのに。だが、このままでいたい気もする。榛名の顔を見ていると、だんだん胸が痛み始めた。心臓の奥がしめつけられ鼓動が早くなる。
いったいこれは、なんなんだろう。
胸の苦しさに耐え切れず、阿部は深く息を吐いた。
・・・・・・・・・きっと、こんな重い人が上に乗ってるからだな。
「元希…さん?」
もう寝ただろうか。囁くように声をかけると、予想に反して榛名の目が開いた。
「タカヤ・・・・・・」
子どものように舌足らずな声で名前を呼ぶ。まどろんでいるのか、阿部に向けられた視線は動かない。
やっぱり、目を開けたほうがもっとかっこいい。ぼんやり見つめ返していたら、榛名の顔がゆっくり近づいてきた。 接近する榛名の顔を見ながら、既視感におそわれる。
前にもこんなことあったような気がする。あれはシニアのときだっただろうか。いや、高校のときか。それとも両方かもしれない。ほんと、ふざけるのが大好きな人なんだよな、そんなことを考えているうちに、息が触れるほどの距離になる。
・・・・・・これで吐かれたりしたら、最悪だな。
かすめる酒の匂いに、イヤな想像が思い浮かぶ。心配になって制止の手を伸ばしかけたとき、あっけなく、榛名の唇が触れた。
――――!!!
唇に感じた柔らかな感触とは裏腹に、激しく殴られたような衝撃が走る。
触ってしまった。
いつものように、ふざけてかわされることなく、ほんとにキスをしてしまった。
・・・・・・初めてだってのに…。
夢を描いていたわけではないけれど、誕生日の夜、酔っぱらった同性の先輩とファーストキスだなんて、いくらなんでもあんまりじゃないだろうか。
落ち込む暇もなく、榛名が再び顔を寄せてくる。今度はすばやく顔を背けて逃げた。安心したのもつかの間、そのままおりてきた唇に耳のつけ根を吸われた。
「んあっ・・・」
くすぐったくて、背筋がしびれる。味わったことのない感覚に思わず声があがり、その声に驚き慌てて口を抑えていると、隙をつくように、榛名が首筋や鎖骨へと唇をおとしてキスを繰り返す。
「元希っ・・・さん!」
さんざん唇で触れられ、繰り返される濡れた音に、体中の血が沸騰しはじめる。
こんなの、いくらなんでもおかしい。もしかしたら酔っ払って阿部のことを、どこかの女と勘違いしているのかもしれない。焦って声を出した。
「元希さんっ、ちょっ・・・もうやめてくださいっ」
「やだ、もっと」
ねだるような声。なんてたちの悪いよっぱらいなんだ。
「オレを誰だと思ってんすか!タカヤですよ!あんたの後輩!!男だぞ!!」
悲鳴のように叫ぶと、榛名がむくりと上体を持ち上げた。
「タカヤ」
上気した頬で呟いて、じっと阿部の顔を見つめてくる。
ようやく気がついたか、と安心する反面、凝視されて顔が熱くなってくる。
「元希さん、離れてくださ…」
阿部を見つめていた榛名が、見たこともないような艶めいた笑みを浮かべる。その表情に、心臓の鼓動が音を立てて弾み、一気に駆け出した。笑んだままの榛名の顔が近づいてくる。理性を取り戻すように阿部は首を振った。
「あんた、いいかげんにっ・・・」
榛名の顔を退けようとした手を捕らえられ、再び唇を奪われた。
今度は舌で唇を探られて、驚きで体が跳ねる。逃れようと首をすくめると、頬に手をあて、さらに深く舌をからめられた。苦くて甘い酒の味。次第に手足の感覚が消えて、ふわふわと宙を舞っているような錯覚におちいる。酒には酔わないはずなのに酩酊したような気分だった。息の仕方がわからず呼吸が止まりそうになった頃、深い口づけがようやくほどかれた。息をつく間もなく、今度は唇が首筋に落ちてきて、阿部は大きく身を震わせた。
「タカヤ。・・・・・・・・・・・・」
首筋に触れた榛名の唇が動いて言葉を紡ぐ。声がくぐもって、何を言ってるのか聞き取れないが、唇が触れた場所から体の内側へと言葉が響いて、酔いがまわるように、身体がじわじわ熱くなる。
榛名の寝顔を見ていたときよりも、もっとずっと胸が痛む。呼吸が苦しくて、熱くてたまらないのに、ぞくぞくと体の震えがとまらない。
そんな自分の状態が不安で、熱から逃れたくて阿部がやみくもに暴れていると、榛名が動きを止めて顔をあげた。
いっそ、ふざけて笑ってくれればいいのに、向けられた目はマウンドに立ったときのように真剣で、阿部はその視線に動けなくなる。抵抗できない。
榛名が顔を寄せてくる、阿部は身を硬くして、ぎゅっと目を閉じて次の接触を待った。長めの髪が首筋をくすぐり、騒がしく踊り続けている心臓の上に、顔がおりてくる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・あ、れ・・・?
「元希・・・さん?」
「・・・・・・・・・」
「元希さん?」
返事がない。動きもない。
かわりに規則正しい静かな呼吸が聞こえてきて、阿部がおそるおそる目を開けると、つむじが見えた。息を殺して顔を覗き込むと、榛名は胸の上で眠っていた。
緊張でこわばっていた体から、一気に力が抜ける。
終わりかよ・・・。
ゆっくり肩を起こすと、胸の上でごろんと榛名の顔の向きが変わったが、目を覚まさない。手を伸ばして、前髪をひっぱってみても動かない。
・・・・・・・・・なんだったんだ、いったい。
こっちはまだ鼓動が落ち着かないというのに。
幸せそうな寝顔を睨みつけていると、軽く開いた榛名の唇に目がとまる。あの唇が・・・、思い出しかけると下半身が疼いた。愕然とする。
違う!これは、あくまでも生理的なものであって、気持ちよかったけど、だって初めてだったし、元希さんがやけにうまかったりしたからだ。寝顔に腹が立つのは、あんなことしておきながら、さっさと寝ているのが悔しいからで、決して物足りないからとか、もっとしたいとか、そういうのではない。絶対ない!
阿部は自分に言い聞かせると、八つ当たりで榛名の体を突き飛ばした。
元希さんのバカ!



激しい頭痛を感じながら榛名は目覚めた。
朝日を浴びて、鈍く痛む頭に手をおき、しばし考えるが、昨夜の記憶がない。
たしか、タカヤの誕生日で。酒を飲まそうとして…それから……。
思い出そうとしても、記憶は朦朧としたままだった。
ひどく喉が渇く。水を求めて寝室を出るとキッチンにいる阿部と目があった。
「っはよー」
「・・・・・・・・・」
挨拶もなく、黙ってスポーツドリンクを差し出した阿部は、明らかに不機嫌だ。
「・・・タカヤ。オレ、昨日なんかした?」
「いえ、別に・・・・・・・・・なにも」
目をそらして、冷たく告げる態度は、どう考えても何かしてしまったような雰囲気で、榛名は困惑する。
「なあ?オレら、昨日、酒飲んだよな」
酒、という言葉が出た瞬間、阿部の顔に凄みがます。
「もう二度とこの部屋で酒を飲まないでください」
「・・・・・・はい」
語気の厳しさに圧倒され、榛名はおとなしく頷いた。気まずさを感じて、一気にスポーツドリンクを飲み干すと、阿部に手渡す。
「サンキュー」
榛名の伸ばした手が、軽く指に触れた瞬間、やけどでもしたように阿部が勢いよく手を引っこめた。
「うおっ」
驚いて思わず榛名も身を引いた。愕然としたように固まった目の前の阿部の顔が、たちまち真っ赤に染まっていく。
「タ、タカヤ?」
「洗濯するんでっ」
「ああ?」
不自然なほどの素早さで、逃げるようにキッチンを出て行く姿を唖然と見送る。
なんなんだよ!今のは!!
隣をすりぬけた阿部は、愛らしく耳まで赤く染まっていて、榛名にも熱が伝染しそうなほどだった。取り残された榛名は口に手をあて、動悸を抑えこむ。
いったい、昨夜、何があったってんだ―――。




The End | Back to Main | template by vel

 
結局、酒の勢いだったり〜。
初チューですが、榛名は無意識なんで一周年リクには応えきれてないという・・・。
もうちょっとお待ちください。ごめんなさい!
(2009/2/4)