阿部とタカヤの×××4
「で、隆也君はまだもとにもどってないんだな・・・」
ロッカールームでイラついた様子の榛名と顔を合わせた秋丸がため息をつく。連日荒れ気味の榛名にさんざん愚痴られ、つきあわされ、いいかげん疲労困憊状態だ。
いなくなってわかる、隆也のありがたさ。
一刻も早くもとに戻ってもらわなければ、自分までおかしくなるんじゃないだろうか。
もともと隆也に感謝はしていたつもりだったけれど、まだまだ足りなかったようだと痛切に思い知らされる。
「ちゃんと病院に連れて行ってあげた?」
「行ったつーの。キオクショーガイとかなんとか言ってたな。でも、そんだけで全然役に立たねー」
「そっか」
「記憶がどうこういうより、あいつ絶対タカヤじゃねーんだよな。オレにむかってあんまり怒らねーし。だからって怒ってねえわけじゃなくて、いつも静かーに怒ってンだよな。いつもなら口に出して突っかかってくるところを、悟りきったようなヘンに醒めた目で見たりしやがってよ。あーっ。思い出したら腹たってきた」
拳を握り締めて、榛名がわなわなと震える。
怒りを露わにするその姿を見て、ふと秋丸の心に影がさした。
もしも隆也君がこのまま戻らなければ、またあの元希に戻ってしまうんだろうか・・。
中学で怪我をして、誰も近づけないほどに荒れていたあの頃に。
元希の話を聞くかぎり、今の隆也はシニアで元希と知り合ったものの、結婚どころか、そのまま別れてしまった隆也らしい。
―――別の世界の隆也くん?
そんなバカなことがあるのかどうかはさておき、あの頃の荒れた元希につきあわされるだけつき合わされて、それっきり疎遠になったのだとしたら、イヤになる気持ちはわからないでもない。それほどあの頃の元希は手がつけられないひどい状態だった。
だが、一時は野球をやめるとすら言っていた元希は、部活メンバーにすすめられて入ったシニアで隆也と出会って、ゆっくりと元にもどっていった。元希がシニアの監督に紹介された年下のキャッチと結婚すると言い出したときは、荒れすぎて頭がおかしくなったのかと疑ったものだが。よくもまあ、シニアの監督もあの荒んだ目の元希を隆也とお見合いさせようなんて思いついたりしたものだ。
けれど、かなりのすったもんだがあったとはいえ、今ではちゃんと周囲公認のバカ夫婦になっているのだからお見合い好きの監督の目はたしかだったということなんだろう。
気の強い似たもの同士のせいか、しょっちゅう派手なケンカをしているけど、それでも元希が隆也を大切に思ってることは伝わってくるし、あの荒れた頃の元希に正面からつきあってくれた隆也だって、元希のことを大事にしているのは明らかだ。
―――というか、あの二人のケンカに巻き込まれれば、イヤでも思い知らされるんだけど。
思い出しただけで生きる気力をそがれそうな二人のケンカすら、こうなれば必要だったのだと思えてくるから不思議なものだ。
―――このままの状態が続くようなら、ほんとうにどうにかしなくちゃいけないな。
なおも怒りがおさまらないのか、拳を握り締めている元希を宥めるように秋丸はその肩をそっと叩いた。
「榛名。とにかく、おちつ・・・」
「つーか、何が耐えられねえって、あいつ、やらせねえんだよ!!!」
「・・・・」
秋丸の声を遮って、突如耐えかねたように元希が叫ぶ。
「一週間だぞ!一週間!!秋丸!!もうオレ溜まりすぎて死ぬかもしれねえ」
「・・・」
こいつ・・・、と心底あきれ果てつつもたしかに榛名なら、それで死ぬってことがほんとにありえそうでイヤだなあと眉をしかめる。
「知ってっか?秋丸。テレビで聞いたんだけど、たまり過ぎた精液ってションベンと一緒に流れちまうんだぜ。ってことは、今、オレがションベンするたびに貴重な精子がーー」
「・・・もういいから流しとけよ」
「そりゃタカヤって、もともとやりましょうて自分から言うようなヤツじゃねえし、何が恥ずかしいんだかさっぱりわかんねえんだけど、やるたびいちいちどうでもいい抵抗して、そのわりに無理やりやってもほんとはイヤがってないっつーか、実はこういうプレイがすきなんじゃねえかって感じだったのに、今はやろうとするとマジで抵抗しやがんの。亭主のこのオレを強姦魔みたいな目つきで見やがってよ。はー。あいつほんとにタカヤじゃねーんだよな。あーあ、今までのオレの努力が・・・」
いっそ耳をふさいでいればよかったとうんざりした気分の秋丸は、なげやりに元希の最後の言葉だけを反復する。
「努力って・・・」
「ばっか、お前!オレがタカヤをここまで仕込むのにどれだけ血の滲む思いをしたことか・・・まあ、血ィ出してたんはタカヤだったけどよ」
最低すぎて言葉も出ない。
秋丸は掠れた窓のはるか向こうに見える遠い山の稜線を見つめた。行けるものなら今すぐあの山の向こうに行きたい。
「だいたい、中身は別人なのかもしれねーけど、あれはタカヤの身体なんだから無理矢理やったっていいってのに、ちゃんと我慢してやってんだぞ・・・・でもあの別人タカヤを押し倒すってのもありかな。それってけっこう燃えそうだよな。な、どー思う秋丸?」
「・・・・オレ、お前の友だちやめてもいいか?」
家の扉を開けて、ひっそりとした玄関で靴を脱ぐ。
隆也が毎日「おかえりなさい」と声をかけ出迎えてくれていたことが、どんなに大切だったか今さらのように思い知らされる。今の隆也も最低限の挨拶はよこすが、出迎えるなんてことは絶対しない。
それにしても静かだなと訝りつつ、居間のドアを開けると隆也はソファにもたれかかるように眠っているところだった。
そういえば最近こいつが眠っている姿を見たことがない。無理やり一緒に寝てはいるものの、夜は黙々と本を読んでいるし、朝目覚めたらもう身支度を整えている。
―――きっと眠れてねえんだろうな。なんせ、大キライらしいオレと一緒に寝なくちゃいけねーんだし。
秋丸にはあんなこと言ったけど、本気で無理やりやろうなんて思ってはいない。そんなことしたってぜんぜん気持ちよくなんかないだろう。
いつも隆也が抵抗するのは、恥ずかしがって素直になれないだけだとわかっているから、多少の無茶だってできるけれど、本気で嫌がる人間の意思に反してまでどうこうしたくなんてない。
実のところ今の元希が一番耐えられないのは、やれないことじゃなくて、隆也が自分を好きじゃないと顔や全身で訴えていることだった。
いつもケンカしてはすぐに怒って、あんたなんか大キライだとか最低だと叫んで飛び出していく隆也だけれど、ほんとは自分のことを好きだってことがわかってる。
だけど、今の隆也はどうやら本当に自分のことを好きじゃないらしい。
隆也の中にいるこいつの言うことが本当だとして、もう一人の自分がいるのならば、そいつだってキツい思いをしてるんじゃないだろうか。
―――タカヤがオレを嫌うだなんて、ありえねーよ。ったく、なんでこんなめんどくさいことになっちまったんだ。こうして寝てる姿は、いつもと同じタカヤなのにな。
ため息をつきながら、無防備な頭にぽんと手を置くと、眠っている体が小さく震えた。
「・・もとき・・さん?」
「あー」
軽く答えると、唇をゆるめて安心したような表情になって、右手を伸ばしてくる。
ほら、こんなとこなんて、いつものまんまじゃねえか。
こんくらいならいいだろ、と伸びてきた右手を握り返して、頬にやわらかく口づける。
「んー、くすぐったいです」
目を閉じたまま、隆也がゆっくりと首を振った。だけど決して拒んではいない。
「・・・タカヤ?」
「なん、ですか」
「怒らねえの?」
「なんで、ですか?」
キレられたってかまやしねえかと、確かめるように今度は唇に軽くキスをすると、従順に唇を開いてきた。
「・・・・お前、タカヤ?」
「何言ってんすか。元希さん。・・オレはオレに、決まってるじゃないすか」
ねだるように首に手をまわしてくる。
間違いなく、これはいつもの隆也だ。寝ぼけているみたいだが、もとに戻ってるんだろうか?
とりあえずこの好機をのがしちゃいけないとばかりに、もう一度深く口づけて、今度は遠慮なく咥内を貪っていると、隆也の体がびくりと大きく跳ねて、今度は抗うように手で強く胸を押し返してきた。
動きを止めて顔を覗きこむと、大きな瞳を見開いて元希を見つめかえしてくる。
真っ黒い瞳にゆらりと浮かぶ感情を読みとろうとしたら、その直前に目を閉じてしまった。
観念したように抵抗して突っ張っていた腕の力を抜くと、そのかわりに指でぎゅっと元希のシャツを握り締めてくる。
「・・・・・」
かたく閉じた目。小さく震えている睫を見て、宥めるように瞼と目尻に柔らかく唇をおとしてから、なめらかな頬を舐めて、唇に触れた。数回啄ばむようなキスを繰り返してから、深く唇を重ねつづけると呼吸を求めて小さく苦しげに隆也が喘ぐ。
いったん唇を離して、深く息をつくのを待ってやって、再びキスをした。
シャツを握り締めながら小刻みにわなないている手をそっと解いてやって指と指を絡める。首筋にキスを落として、鎖骨にじゃれるように歯をたてると、絡めた指がきしむほど、強く握り返してきた。冷たくなった指先に熱を与えるように小指から薬指、ひとつひとつ丁寧に唇を落としていると、すこしずつ指の力が弛んでいく。
だけどもずっとなされるがままの隆也は、怯えた小さな子どものようにかたく瞳を閉じたままだった。
「・・・・」
そんな姿を確認して、元希は小さく息をついた。
人差し指にまでキスをし終えると、首筋に顔をうずめる。
びくっと肩をすくめた隆也の耳朶を軽く噛んでからその耳に低く囁く。
「タカヤ」
聞こえているのかいないのか、隆也からは反応がない。
元希は顔をあげて、目を閉じ続ける隆也の顔を覗きこむと
白くなるほど噛み締めている唇をそっと指でなぞって、こじあけさせた。
歯に指で触れて、隆也の唇を濡れた指で優しくなぞる。
「・・・お前さ、やめんなら、今のうちに言えよ」
その言葉に隆也がはじめてゆっくりと目を開いて、窺うような視線をむけてきた。
「どういうつもりなのか知んねーけど、こっから先は途中でやめろっつってもやめねーからな。
それから後から文句つけんのもうぜえからなし」
「・・・・」
「お前、タカヤじゃねーんだろ」
「な・・んで」
隆也が戸惑ったような声を発する。
「だって、初めてやったときのタカヤと同じ反応だもんよ。キスの息継ぎもできねーし、身体はガチガチだし、震えっぱなしで初々しいってば。なんだかんだいって、やっぱお前もタカヤなんだな」
「・・・・」
「なんだ、こういうの。一粒で二度おいしいっていうか・・・っっわ!!」
いきなり自分の懐めがけてとんできた容赦ない拳をギリギリでかわした。
「いきなりグーで殴ろうとすんなよ!!てめっー」
「あんたやっぱり最低だ!」
羞恥と怒りで顔を真っ赤に染めた隆也が非難する。
「んだよ、せっかく人が気ぃつかってやったってのに。黙ってそのままやりゃよかったのかよ。つか、じっとしてたってことは、お前もその気があるってことだよな」
「そんなことねーよ!」
「んじゃ、なんで抵抗しねーんだよ」
「・・・・それは。・・・ちょっとくらいなら相手してやってもいいかな、って思っただけだ」
「ふーん」
「何、ニヤニヤしてんだよっ」
神経を高ぶらせた隆也は、意味ありげな元希の表情に苛立ちをおさえられない。
「そんなこと言って、ほんとはお前もオレとやりたかったんだろ」
人の悪い笑みを浮かべる元希に、無言のままソファの隅においつめられた。
「・・・・んなわけねーだろ」
「お前さー。どうしてそんなに素直じゃないわけ?まあタカヤもそうだけどよ、お前ほどじゃねーぞ」
「オレはあんたが大っ嫌いだからだよ!!」
激高のままに隆也が叫ぶと、部屋に沈黙が落ちる。
元希がうっとおしそうに前髪をかきあげる音すら響いて、隆也は気まずそうに顔を下げた。
そんな姿をため息まじりに見守って、元希が口をひらく。
「・・・お前がオレのこと嫌いなんはこの一週間でよーくわかったっつーの。なあ、もうお前、さっさとタカヤの体から出てけよ。オレだって、タカヤの顔でそんなこと言われんのが耐えらんねえし、お前とは上手くやってける気がしねーよ。だいたい、どうせお前がそんなだから、向こうのオレとも仲悪いんだろ」
「ちがっ・・それはあんたが・・だいたい、オレだって、タカヤなんだよ!あんたこそ元希さんの姿でそんなこと言うなよ」
否定しようと顔をあげた隆也の目から突然涙があふれだす。涙を零した当の本人が一番驚いたように、慌てて右手で顔を抑えて、ふたたび深く俯いてしまう。
「あーーっもう、なんで泣くんだよ」
「泣いてねえよ。この体のせいだろ」
「ったく、どこまでも素直じゃねーな」
舌打ちまじりにそういいながらも、そっと顎に手をのばして顔をあげさせると、目じりに溜まった涙を親指で払う。優しい自然な仕草に隆也が呟く。
「・・・・あんたはほんとにこのタカヤが好きなんだな」
「あったり前だろ」
元希が断言するのを聞いて、隆也が眉をさげる。
「やっぱりこれは夢なんだろうな。オレとオレの知ってる榛名元希は絶対こんな関係なんかじゃねえ」
「知るかよ、んなこと」
「オレの知ってる榛名元希は、オレのことなんて野球の道具の一部くらいにしか思ってなくて、シニアを退団したらそれっきりだ。一年以上ほったらかしのくせに、会ったら何もなかったみたいに声をかけてきやがる」
「なんで声かけちゃいけねーんだよ」
不思議そうに元希が問う。
「イライラすんだよ!何にもなかったみたいに能天気に声をかけられると・・こんなことあんたに言ってもしかたねえけど」
「そりゃそうだな」
黙り込んでしまった隆也に、首を傾げながら声をかけた。
「オレには、お前が何でそんなにオレのことイヤがってんのかわかんねーけど、オレがオレならタカヤのこと道具の一部と思ってるだなんてことありえねえよ」
「オレたちのこと知りもしないくせに適当なこと言うな」
顔をふせたまま固い声で告げるから、わざと軽い声をかけてやった。
「だって、オレはオレだろーし、タカヤはタカヤなんだろ」
目の前のつむじに軽く唇をおとすと、優しい感触に怯えたように隆也が顔を上げた。元希を見る瞳はなおも赤く潤んだままで、痛々しくなる。涙もろくても泣き崩れない強さは隆也と同じだ。
憎たらしいけど、やっぱりこいつもタカヤなんだよなと、思い知らされる。
―――未来?別の世界??そんなんどーでもいいな。とりあえずタカヤにこんな顔させてられっかっての。
肩を掴んでそのまま唇を合わせると、目を腫らした隆也も素直に従った。互いの体温で染まりはじめた頃、突然我に返ったように、隆也が顔を背ける。
「や、めっ・・」
これ以上はないほどに顔全体を真っ赤に染めて、右の手首で唇を隠す。元希の腕を振り払ってソファから立ち上がると一目散に走り出した。乱暴にドアを締める音、慌しく廊下を駆け抜ける足音が響く。
「ったく、なんだよ。待てよ!」
鮮やかなまでの逃げぶりに、しばし呆気にとられていた元希が慌てて後を追いかける。玄関を開けて姿を探せば、ちょうど隆也は外の階段を駆け下りようとしているところだった。
「タカヤ、おまっ、待っ・・・!!」
元希の呼ぶ声に驚いたように振り返りかけた隆也は、残り三つの段差を踏みはずし、そのまま階段を滑り落ちた。